島田雄三

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1930-02-19) 1930年2月19日(95歳)
身長
体重
170 cm
63 kg
島田 雄三
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府江戸堀
生年月日 (1930-02-19) 1930年2月19日(95歳)
身長
体重
170 cm
63 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1952年
初出場 1952年3月21日
最終出場 1956年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

島田 雄三(しまだ ゆうぞう、1930年2月19日 - )は、大阪府江戸堀出身[1]の元プロ野球選手内野手)・コーチ監督

大阪江戸堀で鮮魚の仲介人をしていた職人気質の父の下に生まれる[2]

1941年浪華商業に入学するが、1942年より勤労動員のため日立造船での作業に従事する[1]。15歳となった1945年少年航空隊に志願入隊し、訓練中に終戦を迎えた[1][3]

戦後、同級生の平古場昭二の誘いで浪商に復学すると[4]1946年に4番・遊撃手として戦後初の夏の甲子園に出場し、エース平古場昭二を擁して、決勝で京都二中に完封勝利、初優勝を飾る。

高校卒業後は早稲田大学に進学し、東京六大学リーグでは5回の優勝を経験をするなど遊撃手として活躍。リーグ通算110試合出場、426打数98安打、打率.230、1本塁打、32打点を記録。大学同期に蔭山和夫末吉俊信宮崎康之八幡製鐵-早大監督)、1年下には岩本堯荒川博沼澤康一郎がいた。

大学卒業後は、早大OBの片岡博国の縁で毎日オリオンズ入りが内定していたが、線の細さに不安を持った球団上層部の意向で入団テストを実施することとなったが、これに不満を持ち入団を拒否する。そのことを聞いた大映の藤本定義監督がその気合いの強さを気に入り、1952年大映スターズへ入団[5][6]。1年目の開幕から1番・二塁手に抜擢されて規定打席(38位、打率.216)にも到達。2年目の1953年には全試合出場で自己最高の打率.262(30位)を記録し、1956年までレギュラーを守るが、その後はチームが高橋ユニオンズと合併して「大映ユニオンズ」となった1957年佐々木信也の加入などもあり、出場ゼロに終わる。

1958年には宮崎一夫栗木孝幸[7]と共に同年創部[8]社会人羽幌炭鉱へ移籍し、選手兼任監督に就任[6]

チームを結成1年目にして都市対抗旭川地区予選においての優勝と北海道大会進出[8]に導いたが、道大会では初戦に強豪の富士鉄室蘭と対戦し惜敗[8]

1959年にはさらなる有力選手の入社で戦力が強化され、再び地区予選を勝ち抜いて進出した道大会では決勝で王子に敗れるものの準優勝[8]、2年目にして第30回本大会に道代表として初出場[8]に導く。大会は初戦敗退であったが、大会連続10回出場の東洋レーヨン大津市)とほぼ互角の善戦を繰り広げ、新聞各紙は「善戦」「惜しい」と報じた[8]

当日は羽幌町から応援団が駆け付け、熊祭りの踊り、メノコのソーラン節踊りは当日随一の見応えのあるものとなり、終始2万人の観衆の注目を集め、野球部の活躍と相まって羽幌炭鉱の宣伝にも大いに貢献した[8]

1965年には阪神タイガース二軍内野守備・走塁コーチに就任し、1966年には一軍内野守備・走塁コーチとなるが、シーズン中に二軍に再び配置転換され、同年オフに退団。コーチ時代は山内一弘を指導。毎日時代からの知り合いということもあり、バッティングに困ったときは的確なアドバイスをくれたという[9]

阪神退団後は建築業に進み、三和建設副社長などを務めた[2]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1952 大映 11045539341851933119251910--51--1275.216.308.303.611
1953 12053047866125163616530456--45--1505.262.326.345.672
1954 1365855065311717671672918119366--15811.231.321.330.651
1955 11544539144891412111201371204101337.228.303.284.586
1956 14445339421756218822581643504339.190.263.223.487
通算:5年 6252468216222549172151965012641405372380820137.227.306.301.607
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 8(1952年 - 1956年)
  • 17(1957年)
  • 66(1965年 - 1966年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI