19世紀初頭までカッシオス・ロンギノスの著作とされてきたが、研究が進み別人の著作とされるようになった[2]。
写本では「ディオニュシオス・ロンギノス」「ディオニュシオスまたはロンギノス」とも標記される[2]。このことから、ビザンティン期の学者が著者を特定できず、ロンギノスまたはハリカルナッソスのディオニュシオスの著作とみなしたと推測される[2]。
現代の通説では、作中で引用される学者などから、1世紀の成立とされる[2]。『創世記』を思わせる引用があることから、著者はユダヤ人とする説もあるが[2][4]、ユダヤ人でなくコスモポリタンゆえの引用とする説もある[2]。