嶋中雄二
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太陽黒点説の再評価と景気循環メカニズム
中央公論社社長を務めた嶋中鵬二の末子に生まれる。5歳の時に右翼団体大日本愛国党に所属していた少年が自宅に侵入した嶋中事件に遭遇するが、奥の子供部屋にいたため難を逃れた。青山学院初等部、暁星学園中学・高校に進学、同級生の十八代目中村勘三郎とよく相撲を取っていた。 祖父の蠟山政道からケインズ経済学を勧められた影響で、早稲田大学政治経済学部に進み、小松雅雄のゼミで学んだ。学生時代から金森久雄のようなエコノミストに憧れ、ハイエク門下でミルトン・フリードマンと同門だった西山千明の『自由経済その政策と原理』に強く影響を受ける。
三和銀行入行3年目に、日本経済研究センターに出向、銀行を辞めて早稲田大学大学院経済学研究科修士に入学、大学院在学中にフランス政府給費留学生として、EMLYON経営大学院に留学した。 1986年 早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了(経済学修士)。日本経済研究センター研究員として金森久雄に師事、1987年にテレビの経済番組にもキャスターとして出演するようになると、元上司の原田和明に誘われて三和総合研究所に移籍する[3]。
いざなぎ景気を超す長い拡張が続くという意見が大勢だった1986年に始まったバブル景気について、1990年後半から「1991年は投資が急減速し、拡張期間のいざなぎ超えもない」と景気面積説を元に予測した。大きな論争になったが、後に政府は景気基準日付で、正式に91年2月を景気の山と認定した。竹森俊平は2002年に著書『経済論戦は甦る』(東洋経済新報社)の中で、この主張を評価し、適切な政策対応があったら日本経済の不況の芽は摘みとられていたかもしれないと指摘した。2008年のリーマン・ショック不況では、2009年3月のリポートで景気の底入れは2009年1月~3月になると主張、予測通り、後に09年3月に景気が谷をつけたと判定された。2005年の景気論争では、交易条件を根拠に後退を主張したが、河野龍太郎の景気後退せずの主張に軍配が上がっている[4]。
1998年に中原伸之が日本銀行政策委員会審議委員に選ばれると、政策提言をサポートする勉強会の取りまとめを任される。2001年から吉川洋座長のもと、内閣府経済社会総合研究所景気動向指数研究会の委員を務めた[5]。
嶋中は著書『太陽活動と景気』で、かつて経済学史の中で顧みられなかったウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズの「太陽黒点説」を再評価し、実証的研究によって太陽活動と日本やアメリカの景気循環との酷似した動きを示していることを論じた[6]。 太陽活動が経済に影響を及ぼす経路として、単なる穀物作柄だけでなく、人間の生理活動やエネルギー摂取量の変化という可能性も考慮した。
景気循環には周期の長さによって4つの種類が認められており、嶋中氏の理論では、これらが太陽活動の各サイクルに対応すると論じている[7]。
- キッチン・サイクル(約40ヵ月周期): 在庫投資の変動が原因とされる短期循環 [8]
- ジュグラー・サイクル(約11年周期): 設備投資が原因とされる主循環。これは太陽のシュワーベ・サイクル(約11年周期の黒点相対数)と一致する傾向があるとしている[9]
- クズネッツ・サイクル(約22年周期): 人口移動や建設活動が原因とされる準長波。これは太陽の磁極逆転周期であるヘール・サイクル(約22年周期)と一致するとしている[10]
- コンドラチェフ・サイクル(約55年周期): 長波。これは嶋中が「吉村サイクル」と名付けた太陽活動の長期波動(約55年周期)と一致するとしている。コンドラチェフ・サイクルの上昇局面では気温が低下して資源 需要(エネルギーや食物)が増加し、逆に下降局面では気温が上昇して供給過剰に陥るという仮説を立てている[11]
嶋中は主に以下の3つの理論的可能性を統合して、太陽活動が経済へ影響を与えると考察した [12] 。
- 気象・農産物価格への影響: 太陽活動に伴う気温や降水量の変化が、農林水産物の供給(豊作・凶作)に影響を与え、その価格変動を通じて世界経済全体に波及する経路
- エネルギー需要と消費への影響: 気温の変化が人間の食物摂取量やエネルギー(原油など)の使用量に影響を与え、世界的な需要変動を引き起こす経路
- 人間心理・生理への影響: 太陽活動の変化(紫外線や地磁気の変動など)が、人間の健康状態や中枢神経系に作用し、経済活動を司る人間の心理(楽観・悲観)に影響を与える経路。これは大衆心理となって増幅されるとしている。また、太陽活動が気温や降水量の変化を通じて、農産物だけでなく原油などのエネルギー価格にも影響を及ぼし、世界経済の長期波動(資源循環)を形成していると分析しており、1930年代の大恐慌は、太陽活動の衰退に伴う気候暖化、農作物の豊作による一次産品価格の暴落、そして農業不況が引き金になったと説いている。これに基づき、1987年当時のコンドラチェフ・サイクルの下降局面にある状況が、1930年代の大恐慌前夜と酷似しているとし、一次産品不況下の株高現象などに警鐘を鳴らした[13]。
職歴
- 三和銀行入社
- 1983年 三和銀行退社
- 1997年 三和総合研究所主席研究員
- 日本経済研究センター研究員
- 2006年 三菱UFJリサーチ&コンサルティング主席研究員
- 2006年 三菱UFJリサーチ&コンサルティング投資調査部長
- 2007年 三菱UFJ証券参与
- 2007年 三菱UFJ証券景気循環研究所長
- 2010年 - 三菱UFJモルガン・スタンレー証券参与
- 2010年 - 三菱UFJモルガン・スタンレー証券景気循環研究所長
- 早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授
- 東北公益文科大学客員教授
- 三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究員
学会等
- 景気循環学会常務理事