川上弾薬庫 From Wikipedia, the free encyclopedia 座標: 北緯34度27分20.2秒 東経132度40分58.8秒 / 北緯34.455611度 東経132.683000度 / 34.455611; 132.683000 所有者在日米軍一般公開されていない建設1942年 (1942)建設者大日本帝国海軍川上弾薬庫Part of 秋月弾薬廠広島県東広島市八本松町宗吉 弾薬庫入口施設情報所有者在日米軍一般公開されていない歴史建設1942年 (1942)建設者大日本帝国海軍駐屯情報駐屯部隊在日米陸軍 第83兵器大隊(83rd Ordnance Battalion)表話編歴 川上弾薬庫(かわかみだんやくこ;Kawakami Ammunition Depot)は、広島県東広島市八本松町宗吉にある弾薬庫。 JR山陽本線八本松駅の北側にある。広島県呉市に司令部がある在日米陸軍秋月弾薬廠第83兵器大隊が管理する、東アジア最大の貯蔵量の弾薬庫群の中の一つ[1]。約260ヘクタールの敷地面積と[2]、4万トンの貯蔵能力を持ち、同弾薬庫群の中では最大である[1]。最新の弾薬整備システムや補修工場も備わっている[3]。アメリカ本土から来た輸送船が、呉市広の沖合に停泊し広弾薬庫を経由する形で、川上弾薬庫で貯蔵する場合が多い[1]。 地域との関係 弾薬を載せたトラックが周辺の道路を走ることへの批判も多く、東広島市が撤去を求めている[3]。しかし、施設内では東広島市に住む駐留軍等労働者が多く働いていること、弾薬運搬時には地元の運送業者が指定されていること、東広島市へは数億円規模の補償金が出ていることなどがあり、撤去されることでそれらの雇用や経済的利益が失われてしまうことから問題は複雑になっている。なお、輸送の日程やルートなどは、経由する自治体に事前に通知される。ベトナム戦争や湾岸戦争などに弾薬を供給した。 沿革 1942年 - 旧日本海軍が建設[3]。同年7月31日に引込線建設のため立ち退きが行われ、8月26日に境界標識が設置。戦後、米軍が接収した[3]。 1957年 - 一時遊休状態になる[3]。 1967年 - ベトナム戦争のため運用を再開[3]。 2000年 - 不用になった小銃弾などの加熱処理を始める[2]。 2009年 - 加熱処理の際騒音が出るとの苦情を受け、東広島市が調査。 2014年 - 中国四国防衛局により防音工事竣工。 脚注 1 2 3 “全国への供給拠点”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社 (2000年1月26日). 2025年1月18日閲覧。 1 2 “川上弾薬庫 防音工事へ 東広島 米陸軍施設”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社 (2011年8月18日). 2025年1月18日閲覧。 1 2 3 4 5 6 “星条旗下に「わが家」―帰る日願い続け60年”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2025年1月18日閲覧。 関連項目 弾薬庫 旧日本海軍 在日米陸軍 在日米軍 太平洋戦争 外部リンク 中国新聞 地域と「保全」 - ウェイバックマシン(2000年4月25日アーカイブ分) 川上弾薬庫 防音工事へ - 中国新聞朝刊、2011年8月18日紙面 この項目は、軍事に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:軍事、プロジェクト:軍事史/Portal:軍事)。表示編集 Related Articles