川崎芳太郎
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鹿児島生まれ[1]。鬼塚善兵衛の長男[3]。1886年(明治19年)に叔父の川崎正蔵が創設した神戸の川崎造船所の事務員になり[1][2]、1890年(明治23年)駐米公使・高平小五郎の援助により[4]、米国ニューヨークのイーストマン商業学校に留学[1][2]。
1892年(明治25年)に川崎正蔵の養嗣子となった[1]。
1896年(明治29年)に株式会社川崎造船所が発足すると副社長に就任する。性格は温厚で、社長の松方幸次郎を補助した[1]。
その後、1905年(明治38年)神戸川崎銀行頭取も務め[4]、1917年(大正6年)に、正蔵の遺志により芳太郎が川崎商船学校(後の神戸商船大学、現・神戸大学海洋政策科学部)を創立した[2][5]。
1919年(大正8年)には川崎汽船、国際汽船、大福海上の各社長に就任[1]。福徳生命の重役も兼任する[4]。
1920年(大正9年)1月13日これまでの功績により男爵の爵位を叙爵[7]。没後、長男の武之助が襲爵した[8][9]。
養嗣子としての芳太郎の生き方は「予が一代は堪忍を以て一貫の主義となすべし」という氏の言葉に残されている[1]。