川崎製鉄神戸硬式野球部
From Wikipedia, the free encyclopedia
| チーム名(通称) | 川崎製鉄神戸、川鉄神戸 |
|---|---|
| 加盟団体 | 日本野球連盟 |
| 加盟区分 | 企業チーム |
| 創部 | 1952年 |
| 廃部 | 1994年 |
| チーム名の遍歴 |
|
| 本拠地自治体 | |
| 練習グラウンド | 川崎製鉄神戸グラウンド(兵庫県西宮市) |
| 都市対抗野球大会 | |
| 出場回数 | 6回 |
| 最近の出場 | 1994年 |
| 最高成績 | ベスト8 |
| 社会人野球日本選手権大会 | |
| 出場回数 | 9回 |
| 最近の出場 | 1994年 |
| 最高成績 | ベスト4 |
| 全日本クラブ野球選手権大会 | |
| 出場回数 | ※出場資格なし |
川崎製鉄神戸硬式野球部(かわさきせいてつこうべこうしきやきゅうぶ)は、兵庫県神戸市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1994年に解散した。
川崎造船所の硬式野球部が源流であり、同社から分離した川崎製鉄葺合工場(兵庫県神戸市)で『川崎製鉄神戸硬式野球部』として1952年に創部した[1]。
1978年に都市対抗野球および日本選手権に初出場を果たし、兵庫県の社会人野球をリードした[2]。1985年には都市対抗野球でベスト8、1986年には日本選手権でベスト4まで進出している。
しかし、母体である葺合工場が1996年までに閉鎖されることになり、それに伴い1994年限りでの活動停止が決まった[3]。1994年は豊田次郎や寺本比呂文を擁して4年ぶりに都市対抗野球に出場し、最後の大会となった日本選手権ではベスト4に進出している。豊田と寺本は同年のドラフト会議でプロ入りし、残りの部員は千葉野球部と水島野球部に移籍して部としての活動を終えた。
沿革
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会 - 出場6回
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場9回
- JABA高砂市長杯争奪大会 - 優勝1回(1984年)