工正信
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広島県立広島商業高等学校では野球部に在籍。二番手投手として、1982年に行われた第64回全国高等学校野球選手権大会に出場し、決勝の徳島県立池田高等学校との試合では2-12で敗れたが、その試合で3回を投げて無失点に抑えた。さらに、同年の国民体育大会では優勝を経験。
高校卒業後、競輪学校第55期生入学試験に技能試験で合格。在校成績は1着34回で13位。
1985年5月2日、岸和田競輪場でデビュー(6着)。初勝利は翌3日。
鋭い捲りに加え、強引な位置取りを主張する強気の走法が光り、1989年の日本選手権競輪(花月園競輪場)で決勝に駒を進め、小川博美に次いで2着に入った一戦をきっかけに、続く高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場。落車棄権)、全日本選抜競輪(前橋競輪場。6着)と、3大会連続で特別競輪(現在のGI)の決勝戦へ進出。これにより、獲得賞金額で同年末に開催予定であったKEIRINグランプリ'89の出場権を獲得した。だが、日本競輪選手会のストライキ行使により同年のKEIRINグランプリは中止となり、その後もKEIRINグランプリには一度も出場を果たせなかった[1]。また、同年の全日本選抜競輪以降、度重なる落車禍が影響し、その後一度もGI、GIIの決勝戦には進出できなかった。最終的に、グレードレースの優勝はGIIIで1回のみであった。
2018年7月よりA級3班に降格。のち競走得点は70点を維持できない状態が続き、最終的に2022年下期をもって代謝制度の対象となり、同年12月28日の松山FII(ナイター)初日第4レース(チャレンジ予選)で内圏線踏み切りにより失格したのがラストレースとなった。
2023年1月19日、選手登録消除。通算戦績は3035戦316勝、優勝27回(うちGIII1回)。