工藤冬里
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愛媛県出身。6歳のとき、父方の祖母に「何が欲しいか」と尋ねられた際、祖母の手のひらに「ピアノ」と指で書いたという逸話がある。祖母は驚きつつも、祖父の森林管理事務所からの年金を用いてピアノを購入した。設置されたピアノの大きさに圧倒されたと語っている。
最初に作曲したのは4歳頃の「山の花」である。14歳のときには、学校のキャンプファイヤーのために「梅の花が散り、桜の花がまだ咲いている」という曲を作り、皆で演奏した。本人は「これが後のマヘルの萌芽かもしれない」とし、花を題材にした楽曲が多いと述べている。
幼少よりピアノを学び、中学時代は松山のジャズ喫茶で演奏をしたり、着物の展示即売会のために作曲を手掛けたりして神童ぶりを発揮。1977年に上京し、福生のコンサートからの帰りの電車内で大村礼子と意気投合。盟友・角谷美知夫と共に、故・蔦木栄一が経営していたスペース「消しゴム」で演奏を行った。以後、ライヴスペース「吉祥寺マイナー」を拠点に演奏活動を行い、並外れたバイタリティーと霊性を武器に、数多くのグループのライヴやレコーディングへ参加。同時に数多くバンドの結成と解散に立ち会った。
キャリアとしては日本初のパンクバンドといわれるワースト・ノイズ[2]を皮切りに、マシンガン・タンゴ、SEX、NOISE、タコ、ガイズンドールズ、腐っていくテレパシーズ、sweetinspirations、A-MUSIK、コクシネル、Che-SHIZUなど数多くのグループに参加。並行して荻窪グッドマンにて、即興演奏主体のピアノ・ソロを長年行なう。1984年頃、近所に住むあまり楽器に触れたことのない人々との演奏を契機として、Maher Shalal Hash Baz(マヘル シャラル ハシュ バズ)を結成。現在も不特定のメンバーが参加する、特殊な形態のグループとして活動している。マヘルでは多くの場合で譜面を用いながらも、偶然性や即興で生まれるアイデア性を重視しており、独特の和声にリズム感覚、あるいは繊細な歌声に人懐っこいメロディーと相まって、聴く人に不思議な情感を抱かせることで知られている。
2003年にはアメリカ西海岸、イギリス、スコットランドをツアーし、BBCの人気ラジオ番組『JohnPeel Sessions』にも出演する。プレイヤーとしての参加としては、渚にてやPASTELSなど数多い[3]。近年は陶芸家としての活動でも知られている。