巨靈神
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巨霊神は、中国の古代神話における山岳・河川の神格化された存在である。その名は「巨大な霊力を持つ神」を意味し、主に華山(陝西省)周辺の伝説と結びついて語られる。最も有名な伝承は、黄河の流れを塞いでいた華山と首陽山を手で裂き、足で踏み分けて二つの山にし、河水を通したという「巨霊擘山」の物語である。この伝説は、漢代の張衡『西京賦』、晋代の干宝『捜神記』、北魏の酈道元『水経注』などに記録されている。
文学史上では、巨霊は「山を裂くほどの強大な力」の比喩として定着し、唐代の李白や杜甫、宋代の詩人たちの作品に頻繁に登場する。明代の小説『西遊記』では、巨霊神は托塔李天王の配下の先鋒将として描かれ、孫悟空との戦いなどに登場する。この作品を通じて、巨霊神のイメージはより広く民間に普及した。
文学の記録
巨霊に関する最も古い記録は、前漢の揚雄『法言』巻五問神篇に「霊場之威、宜夜矣乎」(霊場の威は、夜にふさわしい)とあり、ここでの「霊場」は巨霊の掌跡を指すと解釈される。ただし明確な記述としては、後漢の王逸が『楚辞』天問篇の注で「太華之山、本一山当河、河水过之而曲行。河神巨霊、以手擘开其上、以足蹈离其下、中分为二、以通河流」(太華の山はもともと一つの山で河に当たり、河水は曲がって流れていた。河神巨霊が手で上部を裂き、足で下部を踏み分け、中を二つに分けて河水を通した)と引用しているのが早い例である。
巨霊は、中国文学において「山を裂くほどの強大な力」の象徴として定着した。唐代の李白は『西岳雲台歌送丹丘子』で「巨霊咆哮擘両山、洪波噴流射東海」(巨霊が咆哮して二つの山を裂き、洪波が噴き出して東海に射る)と詠み、杜甫も『望岳』で「西岳崚嶒竦処尊、諸峰羅立如児孫。安得仙人九節杖、拄到玉女洗頭盆。車箱入谷無帰路、箭栝通天有一門。稍待秋風涼冷後、高尋白帝問真源」(西岳は高く聳えて尊く、諸峰は羅列して児孫のよう。仙人の九節杖を得て、玉女の洗頭盆に拠り、車箱が谷に入って帰路なく、箭栝が天に通じて一門あり。秋風涼冷を待って、高く白帝を尋ね真源を問う)と、巨霊の掌跡を連想させる華山の景観を詠んだ。
宋代以降も、楊時『遊玉華洞』の「混沌鑿開幽竅遠、巨霊分破両峰青」(混沌を鑿き開いて幽竅遠く、巨霊が分け破って両峰青し)、杜范『雁蕩』の「巨霊排屃赑、妙力開鴻蒙」(巨霊が力強く、妙なる力で鴻蒙を開く)など、多くの詩人が巨霊のイメージを継承した。
西漢
揚雄『河東賦』河の神である巨霊が荒れ狂い手で華山を裂き足で衰山を踏み割る。[1]
東漢
班固『漢書評林』巻八十七上 河の神である巨霊が荒れ狂い手で華山を裂き足で衰山を踏み割る。蘇林の注釈によると河霊こそ巨霊であり華は華山衰は衰山を指し手で山を押さえ足で山を踏むことを意味する。[2]
王逸『楚辞・天问』注『列仙伝』引用 巨霊の力を持つ大亀が蓬莱山を背負って踊り躍る。[3]
張衡『西京賦』巨霊神は驚異的な力を持ち高く手を挙げて山を裂き遠く足を踏み出して河を開き黄河の流れを整えその手形と足跡は今も残っている。[4]
緯書『遁甲开山図』巨霊胡という神は大地の生成の道を完全に体得し山川を造成し江河を生み出すことができる。[5]
東晋
干宝『捜神記』もともと一つだった華山と少華山は黄河の流れを塞き止め河水を曲がらせていた。河神である巨霊は手で山の上部を裂き足で山の下部を踏み割り山を二つに分けて河水の流れを良くした。今でも華山にはっきりとした手形首陽山には足跡が残っている。[6]
北魏
酈道元『水経注・河水』 華山はもともと一つの山で黄河の流れを塞ぎ河水を曲がらせていた。河神である巨霊は手で山を払い足で山を割り二つに分けた。今もその手形と足跡が残っている。[7]
隋代
道経『洞玄霊宝本相運度劫期経』 天帝は巨霊胡亥を遣わし山川五岳四つの大河を造成しその源流を海まで通じさせた。[8]
唐代
『広弘明集』巻九 甄鸞『笑道論』『済苦経』引用 天地が劫火に焼かれて荒廃した後清らかな気は天に濁った気は地になった。そして巨霊胡亥に以前のように山川と日月を造らせた。[9]
『法苑珠林』巻三十九 昔天地が未分の頃山は太行山まで連なり河水はこの地に滞り山海と呼ばれていた。巨霊大人秦洪海は水の氾濫を憂え左手で華山を支え右足で中条山を踏み天地を開き黄河を貫流させ山をそびえ立たせた。[10]
王維『類箋唐王右丞詩集』『三教感通録』引用 雍州の巨霊大人秦洪海は左手で華山を支え右足で中条山を踏み天地を開いた。[11]
李白『西岳雲台歌送丹丘子』 巨霊神は吼えながら二つの山を割り黄河の濁流は噴き出すように東海へ注ぐ。[12]
『晋書・左貴嬪伝』 高くそびえる華岳は天空にまで届き巨霊神は河の流れを導き黄河はここを経て流れていく。[13]
王維『華岳』 昔天地が閉ざされていた時造化の力が巨霊を生み出した。右足で山を踏み定め左手で山を削り成し天地は突然に開かれ大河は東海へと注いだ。こうして華岳は西にそびえ雄々しく秦の都を守るようになった。[14]
劉象『詠仙掌』 永遠に青空にそびえる仙掌峰は人工の彫刻でも招かれたものでもない。この手で天池の水をすくって人々に降り注ぎ日照りの苗を救うことができたら。[15]
北宋
楽史『太平寰宇記』巻二十九華州華陰県 華山はもともと一つの山で黄河の流れを塞ぎ河水を曲がらせていた。河神である巨霊は手で山を払い足で山を割り二つに分けた。今もその手形と足跡が華山の岩に残っている。[16]
蒋祺『暖谷詩』 まるで巨霊神が華岳を割り裂いたかのように渓谷の音は雷鳴のように響く。[17]
楊時『遊玉華洞』 混沌の世界が掘り開かれ遠くまで続く幽玄な洞穴。巨霊神がその神力で二つの青い峰を分けた。[18]
南宋
王象之『輿地紀勝』巻六十七荊湖北路峡州 もともと一つだった華山と少華山は黄河の流れを塞き止め河水を曲がらせていた。河神である巨霊は手で山の上部を裂き足で山の下部を踏み割り山を二つに分けて河水の流れを良くした。今でも華山にはっきりとした手形が残っている。[19]
孫因『越問・塩魚』 巨霊神の力強き姿が隠れ天吳の神が儚く現れては消える。[20]
呉竜翰『牛渚山観大江』 巨霊神が青々とした山石を割り裂き九条の龍を鞭で叩き青い空へと駆り立てた。[21]
杜范『雁荡』 巨霊神がその圧倒的な神力で混沌とした天地を開いた。切り立った崖は険しく高い岩壁は寒い空にそびえている。[22]
金国
元好問『遊天壇雑詩』 山一面に広がる大きな竹は名も知らずまるで当年巨霊神が割った跡のようだ。[23]
元代
郝経『華不注行』 巨霊神が初めて山を割った時の様子が偲ばれ天地の気があふれ半空から落ちてくるかのようだ。[24]
張翥『華山図題詩』 巨霊神の高き手が芙蓉のような峰を削りその影は黄河の一筋の水に落ちる。[25]
明代
田登『瞻華山』 巨霊神の造りし陡峻な峰は青天にそびえ立ち下に諸々の山々が続々と連なる姿を見下ろす。[26]
呉承恩『西遊記』 この作品に登場する巨霊神は体は巨大で勇猛だがやや頼りない天神として描かれている。托塔李天王の配下の先鋒であり花果山での孫悟空との戦い牛魔王を降す場面地涌夫人を捕らえる場面に登場するがその威力はさほど感じられず愚鈍で粗野な姿を呈している。山河を切り開いた英雄の気迫と輝きはすっかり失われている。[27]
清代
呉廷桢『観潮』 罔象の怪物が横に突進し両岸の岩は狭められ巨霊神がまっすぐに中流を割り開く。[28]
近現代
梁啓超『二十世紀太平洋歌』 巨霊神が天地を切り開いた太古の昔竜や亀の姿は砕け神の螺は動かなくなる。上には天の広々とした大地があり下には広々とした水が横たわる。土で六つの大地を水で五つの海を作りその位置は参商の星のように錯綜している。[29]