市原康
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人物、来歴
小学校低学年の時にクラシック・ピアノを習い始め、中学に入るとクラシック・ギターを弾き始める。高校生になるとエレキギターに興味を持ち始め、エレキバンドを結成する[1]。
1969年、早稲田大学在学中にジョージ大塚に師事し、ドラムを始める。直接の指導は大塚の弟子であったジャズ・ドラマー小津昌彦から受ける。大学一年の時はスイング&ジャズ研究会に、二年の時にはモダンジャズ研究会に所属し、その後江夏健二トリオに加わり、プロとしての活動に入る[2]。
1975年1月から11月まで渡米し、その間惣領泰則グループである ″BROWN RICE″ に加入し[3]、メンバーとしておよそ1年間に亘りエンゲルベルト・フンパーディンクの北南米ツアーに参加するほか、ラスベガスにてレコーディングに加わるなど全米で活動する[3]。帰国直前に当時バークリー音楽大学に留学していたミッキー吉野や、寺尾聰と知り合う[2]。帰国後、短期間ミッキー吉野グループに参加、1975年末に渋谷西武劇場(現在のパルコ劇場)で開催されたフラッシュ・コンサートに出演する。しかし、ジャズ志向が強かった市原は同グループに長くは留まらず、鈴木宏昌がリーダーを務める ″コルゲンバンド″ に加わる[2]。
1980年代に入るとスタジオ・ミュージシャンとしての仕事が増えて行き、大野雄二率いる ″You & The Explosion Band″ に在籍するほか、″惣領泰則とジム・ロック・シンガーズ″ のバックバンドである ″Jim Rock Super Session″ にも参加した。以来、数多の歌手のレコーディング、映画音楽、CM音楽、ライブ演奏、コンサート、TV出演などの活動を続ける[3]。
1990年代に入ってからは、様々な形でジャズのライブハウスへの出演を増やして自身の音楽活動にも注力するようになり、2004年1月にはジャズピアノトリオ ″TRIO' (トリオッ)″ (Piano: 福田重男、Bass: 森泰人) を結成する。同時にレーベル”アイプロデュース”を立ち上げ、現在までに6枚のアルバムがリリースされている。また、東京音楽大学作曲科映画放送音楽コースの客員教授として、ドラマー志望の学生を対象に20年以上に亘って後進の育成にも尽力している[1]。
ドラマーとしての活動のほかにクリスチャンや役者の側面も持ち、2020年1月からは聖書を唯一の信仰の規範とするプロテスタント・キリスト教会である ″グレイスホームチャーチ″ の牧仕を務めるほか、演劇ユニット ″黒鯛プロデュース″ の1~2年に一回ほど行われる公演に出演し、役者を務めることもある[1]。
主なレコーディング参加作品
- 堀内孝雄 – 言葉にならない贈り物(1975年)
- 森山良子 – 日付のないカレンダー(1976年)
- 小椋佳 – 渡良瀬逍遥(1976年)
- 大野雄二 – 「犬神家の一族」オリジナルサウンドトラック(1976年)
- 大野雄二 – 「人間の証明」オリジナル・サウンドトラック(1977年)
- 鈴木宏昌 – SKIP STEP COLGEN(1977年)
- 惣領泰則 – WINGS OF LOVE(1977年)
- 大野雄二 – ルパン三世 オリジナル・サウンドトラック(1978年)
- 竹内まりや – SEPTEMBER(1979年)
- 久保田早紀 – 天界(1980年)
- 山口百恵 – This is my trial(1980年)
- 松田聖子 – North Wind(1980年)
- 加藤登紀子 – OUT OF BORDER(1980年)
- 河合奈保子 – LOVE(1980年)
- 加山雄三 – 愛する時は今(1980年)
- 来生たかお – Sparkle(1981年)
- 大野雄二 – COSMOS(1981年)
- 中森明菜 – ファンタジー〈幻想曲〉(1983年)
- 岩崎宏美 – 私・的・空・間(1983年)
- 所ジョージ – 所沢より愛をこめて(1984年)
- 林隆三 – ピアノ・マン(1985年)