市原豊太
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東京で生まれる。父市原卯之助は、山形県出身で帝国海軍将官だった。
1915年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1920年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中学の同級生には、下村三郎(元最高裁判所判事)、菊池正士(物理学者)、坪井忠二(東京大学名誉教授)、中島健蔵(フランス文学者)などがいた。 旧制第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学文学部仏文科卒。
浦和高等学校教授、第一高等学校教授、東京大学教養学部教授、1963年定年退官、青山学院大学教授、獨協大学教授、獨協大学学長代行を経て名誉教授。
歴史的仮名遣を重視する立場で国語審議会委員も務めた。教養主義的・旧制高校的な随筆を多く書いたが、晩年は東洋的な価値観に軸を置いた著作が多い。
弟子・知人により下記が追悼刊行された。
- 『市原豐太先生を偲んで』(市原豐太先生追悼文集刊行会編、芸立出版) 1993
