恒松制治

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生年月日 1923年1月21日
没年月日 (2011-07-23) 2011年7月23日(88歳没)
恒松 制治
つねまつ せいじ
生年月日 1923年1月21日
出生地 日本の旗 日本 島根県大田市
没年月日 (2011-07-23) 2011年7月23日(88歳没)
出身校 京都帝国大学経済学部
前職 農林省職員、学習院大学教授
所属政党 無所属
称号 勲二等旭日重光章(1994年)[1]
島根県の旗 第8 - 10代 島根県知事(公選)
当選回数 3回
在任期間 1975年3月27日 - 1987年4月29日
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恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月21日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、日本経済学者政治家島根県知事(3期)。第5代獨協大学学長。連邦制道州制を提唱。戦国武将で尼子氏の家臣・立原久綱の後裔にあたる。

交友関係

島根県大田市生まれ[2]武蔵高等学校京都帝国大学経済学部卒業後[2]、農林省(現・農林水産省)入省。

1958年(昭和33年)学習院大学経済学部教授に転じ[2]、1975年郷里の知事に担ぎ出され、日本社会党の推薦で初当選。県議の8割を占める保守系県議の支援も得て、3期務めた[3]。任期中は、賛否が割れていた宍道湖中海淡水化事業を巡って苦心したほか、1981年(昭和56年)には韓国慶尚北道を訪れ、姉妹提携の筋道をつけた[4]。予算編成時には、担当の部課長は知事の質問に備えていつも徹夜を強いられたという、また中堅を選抜し、庁内にビジョン研究会を編成。「エリート養成」と労組に言い切った[3]

引退後は東京都で暮らし[4]、獨協大学学長などを務め[2][5]地方分権や道州制について積極的に発言した[4]

2011年7月23日、肺炎のため死去。88歳没[6]

学生時代、岸本誠二郎のゼミで一緒になった若林誠郎京都近鉄百貨店社長)は、同い年で一緒に価値論を勉強した仲だった。大学教員になった恒松に対して、若林は価値論と関係なく百貨店丸物」に入ったものの、若林は出雲地方に知人が多く、知事時代の恒松の活躍を聞くのを楽しみにしていた[7]

略歴

著書

脚注・出典

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