市川正巳
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秋田県に生まれ、秋田県師範学校から東京高等師範学校文科第4部に進み、1941年に卒業して滋賀県師範学校教諭となった[1]。
1942年に二等兵として陸軍に召集され、終戦時には陸軍中尉となっていた[1]。
戦後ただちに東京文理科大学理学部地学科地理学専攻に進んで、石川与吉に師事して自然地理学を学び、1949年に卒業し、大学院特別研究生として4年間在籍した後、1953年に東京教育大学理学部助手となった[1]。
1961年5月には、「山地斜面の形態とその発達に関する地形学的研究」により、東京教育大学から理学博士を取得した[2]。
1963年4月に立正大学文学部助教授となったが、同年12月には東京教育大学に戻り、理学部地学科に新設された水文学講座担当の助教授となった[1]。筑波大学の開学に伴い、1974年に筑波大学地球科学系教授と東京教育大学理学部教授の併任となり、1980年には筑波大学副学長(研究担当)となった[1]。
1981年には兵庫教育大学副学長に転じ、筑波大学からは名誉教授の称号を贈られ、1986年には兵庫教育大学からも名誉教授の称号を贈られた[1]。この間、1982年から1984年にかけて、日本地理学会会長を務めた[1]。
1985年から1989年には秋草学園短期大学副学長を務めた[1]。
晩年には、難病である進行性核上性麻痺で2年ほど闘病し、最期は心不全で亡くなった[1]。死没日付をもって従四位に叙された[3]。