市川都志春
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音楽教育に力を入れ、多くの音楽教科書の著述、編集を務めたことで知られる。また、各地の学校で校歌の作曲を多く手がけている。
浜松市で生まれ、中学からは東京に移り住んだ。旧制市立ニ中(現・東京都立上野高等学校)では、福田恆存(英文学)、高橋義孝(独文学)と同期。作曲を志し、1935年に東京音楽学校の器楽部ヴァイオリン科に入り、安藤幸子、ウィリー・フライに師事した。また課外でクラウス・プリングスハイムに作曲を学び、1937年本科卒業後は研究科に進んで、信時潔に半年間作曲を学ぶ。また1938年には諸井三郎に1年間師事した。
1938年4月の第6回日本音楽コンクールに応募した『序曲』が第3位入選[1]、同年11月の第7回は『交響曲の第1楽章』が第1位入選した[2]。1940年、日本放送協会募集紀元2600年記念管弦楽曲には『交響組曲「春苑」』が第1席入選し、1942年にはビクター主催第1回管弦楽懸賞に『沃野』が予選通過、1943年、東宝映画主催映画音楽コンクールには『交響組曲「熱風」』が第1位入選するなど、戦時中、多方面で活動した。戦後は教育活動が主となったが、1970年代に再び大規模な管弦楽曲に手を染め、チェコを中心に海外でも紹介され、ズデニェク・コシュラー指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団による録音もある。
戦後、1947年に弟の肇(1918 - 1993)と共に教育芸術社を起こし、小・中学校向けの音楽教科書や合唱曲集を出版するなどの音楽教育に携わった。
