布施公雄 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不明死没 不明別名 淡路入道 凡例布施 公雄時代 戦国時代生誕 不明死没 不明別名 淡路入道官位 淡路守主君 六角義賢→義治→織田信長氏族 布施氏子 公保テンプレートを表示 布施 公雄(ふせ きみお)は、戦国時代の武将。六角氏、後に織田氏の家臣。近江国大森城主[1]。 六角氏の年寄衆の1人としてその名が見え、永禄3年(1560年)、六角義治が父・義賢に無断で斎藤義龍と婚姻を結ぼうとした際、他の年寄衆(平井定武・蒲生定秀・後藤賢豊・狛定)とともに義賢から叱責を受けている[2][3] 同年9月には得珍保と枝村との公事では得珍保側に有利な裁定を下し(『今堀日吉神社文書』)[2][4]、永禄5年(1562年)4月には禁裏御料である山城国小野庄での違乱停止を命じられている(『立入文書』)[4]。 永禄9年(1566年)、六角氏に謀反を起こしたという説があるが、一次資料では確認できない[2]。永禄10年(1567年)に制定された六角氏式目では宛所に公雄の名がある[4]。また、同年の後藤高治と進藤賢盛による安国寺の質流れを巡った相論では、後藤氏の親類衆として他の年寄衆とともに高治を擁護している(『芦浦観音寺文書』[2][4])。 永禄11年(1568年)に織田信長が侵攻してくると(観音寺城の戦い)、これに臣従した[5]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ “東近江市の遺跡シリーズ9 「 大森城跡 」” (PDF). 東近江市教育委員会 埋蔵文化財センター. 2022年8月17日閲覧。 1 2 3 4 村井祐樹『戦国大名佐々木六角氏の基礎研究』思文閣出版、2012年12月24日、49, 86, 133–134, 206–207頁。ISBN 9784784216635。 ↑ 新谷和之『戦国期六角氏権力と地域社会』思文閣出版、2018年5月15日、150頁。ISBN 9784784219353。 1 2 3 4 山本大、小和田哲男『戦国大名家臣団人物事典 西国編』新人物往来社、1981年8月25日、66, 72頁。ISBN 9784404010766。 ↑ 阿部猛、西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月10日、673頁。ISBN 4404017529。 Related Articles