師団管区
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日本が韓国併合を行ったのは1910年、朝鮮に2個師団常駐を決めたのは1915年だが、日本の内地にあるような連隊区は置かれなかった。連隊区を管轄する連隊区司令官・連隊区司令部の主任務は、その地域を本籍とする男子から徴兵を行うことであったが、徴兵の対象は「戸籍法の適用を受くる者」に限定されており[1]、適用を受けない植民地住民は除外されていた。連隊区がなければその上位区分である師管もなくてよいわけである。
しかし徴兵関連の事務がまったくなかったわけではない。日本の内地に戸籍を持つ男子は、朝鮮に居住しても兵役義務があり、徴兵のための身体検査を朝鮮で受けることができた。この検査は朝鮮所在の師団が統括実施した[2]。戦時に召集されるべき予備役・後備役の在郷軍人で朝鮮に居住する者も少なくなく、彼らは地方官庁を通じて朝鮮に所在する師団長への届出が義務づけられた[3]。彼らに対する召集令状は、朝鮮所在の師団長(実務的には師団司令部)が作製することになっていた。 そうした事務のための区分として、陸軍省は「兵役法施行規則」で第19師団と第20師団の地域分担を定めた。朝鮮北東部にあたる江原道、咸鏡南道、咸鏡北道と間島が第19師団、その他が第20師団である[4]。
また、1938年(昭和13年)に陸軍特別志願兵令が制定され、朝鮮人から陸軍の兵士を募集する制度ができると、その募集事務も朝鮮の2師団が行った[5]。師団管区が置かれたのはその翌年である。
師団管区設置とその概要
1939年、昭和14年勅令第518号(8月1日制定、2日公布)で陸軍兵事部令が制定され[6]、内地の連隊区に相当する兵事区と、連隊区司令部に相当する陸軍兵事部が置かれた。徴兵、志願兵募集などの事務は兵事部が執行し、師団司令部はそれを上から監督することになった[7]。
朝鮮には6つの兵事区が置かれ、北東部の2つの兵事区を第19師団、その他全部を第20師団が管轄すると定められた。師団管区の呼び方は、陸軍兵事部令や陸軍管区表になく、陸軍省令の「兵役法施行規則」などで規定された[8]。
内地の師管には、そこから徴兵された兵士がその地の師団の兵士を構成するという原則があったが、師団管区にはあてはまらない。居住者本人が希望すれば、本籍地でなく現地朝鮮の部隊に直行で入営できるという特例制度はあったが、日本の他師管から回された兵員で大部分が構成されることに変わりなかった。
