帯隈山城
佐賀県佐賀市久保泉町にある神籠石式山城
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遺構
列石は帯隈山および近隣の天童山、鳥越山、桃山、大・中清兵衛山の中腹をめぐり[6]、その全長は約2400メートルに達する[7]。郭内の施設については期待される調査成果は上がっていない[8]。遺物は弥生土器などが出土しているが、いずれも山城と直接関係あるものではない[9]。
土塁(列石)
西辺、南辺で土塁が出土しているほか[10]、土塁の基礎である列石は全域にめぐり、土塁内平坦地(車路)も各所にみられる[11]。列石の高さは約60センチメートルであるが、地形を利用しているので各列石の長さは一定でない[12]。西辺、南辺、東辺などで列石前の柱穴(柵柱)が確認されている[13]。
列石はほとんどが花崗岩製で、山城から2キロメートル以内の川底で良質の花崗岩が豊富に存在するため、ここから搬出されたものと考えられる[14]。一部、母岩を使用した可能性がある[15]。
水門
地形から西谷、中谷、東谷の3ヶ所に水門が推定されるが、中谷と東谷のものについては確証がない[16]。
- 西谷水門推定地
「切れ堤(きれどい)」と称される地点で、以前は井戸とため池が存在した[17]。発掘の結果、列石は確認されたが水門と確定できる遺構は見つかっていない[18]。
門
帯隈最高峰からやや北に下ったところに約4.1メートルの列石の切れ目があり、これを北門としている[19][20]。左右の列石の外側に門柱と思われる穴があり、この門柱の間隔は4.5メートルである[21]。城の裏手に位置することから特別な防御を要せず簡単な構造となっている[20]。
調査歴
1941年(昭和16年)、ため池工事の際に工事主任の石井亀吉が列石を発見し、その報告を受けた佐賀県史蹟調査委員の吉村茂三郎によって神籠石系山城と確認された[22]。その後、石井、七田忠志、松尾禎作らによって次々に列石遺構が発見され大体の列石線が推定できるまでになった[23]。そして「一応の報告」をまとめ、1951年の史跡指定に至った[23]。
九州大学の鏡山猛らは神籠石系山城の性格を明らかにしたおつぼ山城の調査の後、1964年に帯隈山城の緊急調査にも携わった[24]。1968年には佐賀市教育委員会が緊急調査を実施し[25]、さらに翌1969年にも史跡帯隈山神籠石緊急調査委員会による緊急調査がおこなわれている[26]。。
指定文化財
国指定史跡
- 帯隈山神籠石 - 1951年6月9日指定[27]
