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学校法人常翔学園

日本の学校法人 From Wikipedia, the free encyclopedia

学校法人常翔学園(がっこうほうじんじょうしょうがくえん)は、大阪府大阪市旭区に本部を置く日本の学校法人。大阪工業大学・摂南大学・広島国際大学の3大学と、常翔学園中学校・高等学校・常翔啓光学園中学校・高等学校の2つの中学校・高等学校を設置する[2]。1987年から2008年までの名称は学校法人大阪工大摂南大学、1987年以前の名称は学校法人大阪工業大学であった[3]。

創立者 本庄京三郎(設立者・校主)
理事長 佐藤等
創立 1922年(関西工学専修学校創設)
1926年(財団法人関西工学設立)
概要 学校法人常翔学園, 法人番号 ...
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法人の起源は、1922年(大正11年)に実業家の本庄京三郎が設立者・校主となり、建築家の片岡安を初代校長として大阪に創設した夜間の工業技術者養成学校「関西工学専修学校」である[3][4][5]。同校を法人化した財団法人関西工学(1926年設立)が、戦後の学制改革を経て1949年に新制大学の大阪工業大学(開設時の名称は摂南工業大学)を開設し、1975年に摂南大学、1998年に広島国際大学を開設した[3]。2008年に現名称へ改称し、2013年に学校法人常翔啓光学園を合併した[3][6]。2022年10月30日に創立100周年を迎えた[7]。

概要

1922年(大正11年)9月7日、本庄京三郎が設立者・校主として創立した関西工学専修学校が母体である[3][4]。同校は大阪府知事池松時和の設置認可を受け、工学博士の片岡安を校長とし、大阪府建築課長の池田實ら官庁・企業の技術者・実業家の協力を得て開設された[3]。法人としての設立は、同校を法人組織化した財団法人関西工学が文部大臣の認可を受けた1926年(大正15年)4月6日である[4][8]。

学園紛争の激しかった1969年、旧総評議長で参議院議員であった藤田進が学園理事長に就任し[4][9][10]、2003年まで約34年間にわたって理事長(1987年からは総長を兼任)を務めた[6]。この間に大阪工業大学の2学部設置(情報科学部1996年、知的財産学部2003年)のほか、1975年に摂南大学、1998年に広島国際大学を開設した[3][6][11]。

2000年代に入ると少子化の進行により学生・生徒の確保が課題となり、法人は中学校から大学までの「一貫教育体制」の構築を掲げて[12][13]、2007年に学校法人啓光学園と連携協定を結び、2008年に法人名を学校法人常翔学園に改め、2011年に常翔学園中学校を開設、2013年に啓光学園(当時の名称は学校法人常翔啓光学園)と法人合併した[3][6]。その結果、3大学、2高等学校、2中学校を擁する学校法人となり、創立100周年の2022年時点で学生・生徒数は約2万5,000人、卒業生の累計は約31万人であった[14][15]。2022年に創立100周年を迎え、10月30日に大阪工業大学梅田キャンパスで記念式典を開いた[7]。

学校法人を表すシンボルカラーとして「青藍」(マンセル値/4.5PB 3/7)を定めている[16]。

建学の精神

建学の精神は「世のため、人のため、地域のため、理論に裏付けられた実践的技術をもち、現場で活躍できる専門職業人を育成する。」である[17]。法人によれば、創設当時の大阪は商業都市から工業都市へ移行する途上にあり、都市計画を担う工業技術者が不足していたため、「現場で即戦力となる中堅専門技術家」の養成を目指したという[17]。創立当初の学科は夜間の土木と建築で、卒業生の多くが御堂筋の拡幅事業など大阪の都市計画事業に携わった[17]。

建学の精神の文言は、創立65周年(1987年)の寄附行為改正で「建学の綱領」が定められた後も長く明文化されておらず、2003年に就任した東松孝臣理事長が設置した業務改革推進委員会の検討を経て、2004年12月の理事会・評議員会で承認され、その後に文言を一部改めて現在の形となった[18]。

名称

法人名は1926年の設立時が「財団法人関西工学」、1947年に「財団法人摂南学園」、1949年に「財団法人大阪工業大学」と改称され、1951年に私立学校法に基づく「学校法人大阪工業大学」へ改組された[3][4]。1987年に「学校法人大阪工大摂南大学」、2008年に「学校法人常翔学園」と改称している[3][6]。2008年の改称は、同年に大阪工業大学高等学校を常翔学園高等学校へ、啓光学園中学校・高等学校を常翔啓光学園中学校・高等学校へ改称したのと同時に行われた[6]。設置校の常翔学園中学校・高等学校は「常翔」の語を「常に天翔けるもの」の意と説明している[19]。

歴史

関西工学専修学校の創設(1922年)

1922年(大正11年)8月17日、関西工学専修学校の設置認可申請書が大阪府知事に提出され、同年9月7日に認可された[4]。設立者・校主は実業家の本庄京三郎、初代校長は建築家の片岡安である[4][20][21]。1928年刊行の『人事興信録』第8版は、本庄を「關西工業專修學校主」、片岡を「關西工學專修學校長」と記載している[5][22][注釈 1]。本庄は甲陽土地・有馬パラダイス土地などを経営した実業家で、学校設立に際して基金を寄付し、1926年まで設立者・校主を務めた[20][5]。片岡は辰野金吾と辰野片岡建築事務所を開いた建築家で、大阪工業会理事長などを務めながら1926年10月まで校長の職にあった[21]。

同校は大阪市外の豊崎第五尋常高等小学校を仮校舎として同年10月1日に開校式を行い、10月9日に授業を開始した[4][24]。開校時の生徒数は589人であった[14]。1923年7月には大阪市北区樋之口町の府有地に初の専用校舎(樋之口校舎)が完成したが、1924年1月に隣接するセルロイド工場の火災で校舎3棟のうち2棟が類焼し、直ちに再建された[4][24]。1925年4月時点の生徒総数は1,544人に達した[4]。

経済史家の沢井実は、1922年9月に甲陽土地社長・大正信託代表取締役の本庄京三郎と大阪工業会理事長の片岡安らが中心となって関西工学専修学校を設立し、同校は土木科・建築科の2科を置いて夕方から夜9時まで授業を行ったと記している[25]。同論文は、財団法人関西工学が1939年6月に関西高等工業学校の設置認可を申請して1940年3月に認可されたこと、同校が私立の高等工業学校として1939年3月認可の東京電機高等工業学校に次ぐものであったこと、1942年2月に摂南高等工業学校と改称したことも記している[26]。

財団法人関西工学の設立と戦前の拡充(1926年 - 1945年)

1926年(大正15年)3月、法人は大阪市東淀川区南方町(現・淀川区西中島)に2,040坪の土地を取得して初の専有校地(南方校地)とし、同年4月6日に財団法人関西工学の設立が認可された[4][8]。初代理事長には片岡安が就任した[4]。同年12月に関西高等工学校の設置が認可され、1927年4月に開設された[4][3]。1928年1月には関西工学専修学校が関西工学校に改称された[4]。1932年には関西高等電機学校を開設(1934年に関西高等工学校へ併合)し、同年10月30日の創立10周年記念式典を機に、学園の創立記念日を10月30日と定めた[4][注釈 2]。

1933年(昭和8年)3月3日、実業学校令による関西工業学校の設置が認可され[4][27]、同年4月に開設された。同校は現在の常翔学園高等学校の前身である[3]。1935年10月、法人は大阪市東淀川区豊里町(現・旭区大宮)の土地5,269坪を城北土地から購入し、以後この城北校地(現・大宮校地)が学園の本拠地となった[4]。1936年11月に大宮校地の第1期校舎(鉄筋コンクリート3階建て)が完成し、関西工学校が移転した[4][28]。

1940年(昭和15年)3月30日、専門学校令による関西高等工業学校の設置が認可され、4月1日に開設された[4][29]。同校は現在の大阪工業大学の前身である[3]。1942年に関西高等工業学校は摂南高等工業学校に改称され[4][30]、同年に甲種工業学校の摂南重機工業学校が開設された[3][4]。1944年には摂南高等工業学校が摂南工業専門学校に、摂南重機工業学校が摂南工業学校にそれぞれ改称された[3][31]。

太平洋戦争中は多くの教職員が徴兵され、大宮校地の校舎は1941年から陸軍の高射砲陣地となった[4][28]。1945年(昭和20年)6月7日の大阪大空襲で南方校地の校舎は全焼し、大宮校地も被害を受けた[4][28]。

学制改革と大阪工業大学の開設(1946年 - 1968年)

終戦後の1947年6月、法人名は財団法人関西工学から財団法人摂南学園に改称された[4]。1948年4月、新制の学校制度により関西工業学校と摂南工業学校を統合して摂南学園高等学校と摂南学園中学校が開設され、同年12月には関西高等工学校が摂南工科専門学院に改称された[4][3]。

1949年(昭和24年)3月25日、摂南工業専門学校を昇格させた新制大学「摂南工業大学」の設置が認可され、4月1日に開設された[4][32]。同年5月に学生大会が校名改称を決議し、7月の理事会・評議員会で法人名と大学名の改称が決定され、10月18日に財団法人大阪工業大学および大阪工業大学への改称が認可された[4][注釈 3]。10月29日に大宮校地で大阪工業大学の開学式典が開かれた[4][35]。1950年には中学校・高等学校・専門学院がそれぞれ大阪工業大学中学校・大阪工業大学高等学校・大阪工業大学専門学院に改称され、大阪工業大学短期大学部が開設された[4][3]。1951年3月1日、財団法人大阪工業大学は私立学校法に基づく学校法人大阪工業大学に改組された[4]。

1950年代から1960年代には、1953年に大阪工業大学に初の女子学生が入学し[35]、1962年に大阪工業高等専門学校が寝屋川の校地に開設され[4][3]、1964年に枚方市・八幡町にまたがる約10万3千平方メートルの校地(現・枚方第1校地)を取得、1965年に大阪工業大学大学院が開設された[4]。1966年からは大宮校地の前を通る阪神高速道路守口線の建設計画に法人と学生が反対し[4][36]、高速道路は教育環境に配慮した高々架方式に変更されて1972年10月に開通した[36]。

藤田進理事長期と総合学園化(1969年 - 2002年)

1969年(昭和44年)1月に田上憲一理事長が在任中に死去し、3月7日に元総評議長で参議院議員の藤田進が理事長に就任した[4][9]。同年、大阪工業大学では大学紛争が激化し、学生の全学闘争委員会が本館などを封鎖したため、理事会は大阪府警察に機動隊の出動を要請し、12月28日に封鎖が解除された[4][36]。

1972年10月30日に創立50周年記念式典を挙行し、初の周年史『大阪工業大学学園五十年史』を刊行した[6][18]。1975年(昭和50年)1月10日に摂南大学の設置が認可され、4月1日、後に1979年に廃止される大阪工業高等専門学校の寝屋川校地・校舎を引き継いで工学部1学部で開学した[6][37][38]。1979年3月31日には大阪工業高等専門学校、大阪工業大学高等学校定時制、大阪工業大学中学校、大阪工業大学専門学院が廃止された[6]。1982年から1983年にかけて摂南大学に国際言語文化学部・経営情報学部・薬学部が増設され、枚方キャンパスが開設された[3][38]。

1987年(昭和62年)7月16日、法人名を学校法人大阪工大摂南大学に改称し、同年9月1日に総長制を設けて藤田進が初代総長に就任した[6]。1989年には学園共同利用施設として枚方第1校地に八幡工学実験場(構造・水理・高電圧の各実験センター)を設置した[6]。周年史によれば、1985年の将来計画に関する第1次答申では香川県多度津町への大学進出が検討され、1995年に教育関係諸問題検討委員会が医療福祉を中心とする新大学の設立を理事会に提示し、四国・九州・東北なども候補地に挙がった[18]。1997年12月19日に広島国際大学の設置が認可され、1998年(平成10年)4月1日、広島県賀茂郡黒瀬町(現・東広島市)に医療福祉学部・保健医療学部の2学部5学科で開学した[6][39][11]。藤田は黒瀬町に自宅を置き、2003年の死去に際しては同町の広島国際大学黒瀬キャンパスで葬儀が営まれた[10]。2002年には呉市に呉キャンパスを開設した[40]。

常翔学園への改称と啓光学園の統合(2003年 - 2013年)

2003年(平成15年)、藤田の退任に伴い元関西電力専務の東松孝臣が理事長・総長に就任した[6][41]。2006年8月に元きんでん副社長の坂口正雄が理事長に就任し[6][42]、2007年11月27日にカトリック系の男子校を運営していた学校法人啓光学園(枚方市)と連携協定を締結した[6][43]。啓光学園は同年12月25日に学校法人常翔啓光学園へ改称し、坂口が同法人の理事長を兼任した[6]。

2008年(平成20年)4月1日、法人名を学校法人大阪工大摂南大学から学校法人常翔学園に改称し、同日、大阪工業大学高等学校を常翔学園高等学校に、啓光学園中学校・高等学校を常翔啓光学園中学校・高等学校に改称した[6][3]。同年8月31日に総長制を廃止した[6]。2011年4月に常翔学園中学校を開設し[6][3]、2012年11月30日に学校法人常翔啓光学園との法人合併が認可され、2013年4月1日に合併して常翔啓光学園中学校・高等学校が本法人の設置校となった[6][44]。

この間、2012年には「関西工学専修学校発祥の地」の記念碑を創設の地(大阪市北区本庄3丁目)に建立し、創立100周年に向けた長期ビジョン「J-Vision 2022」を策定、法人カラーを制定し、10月1日に創立90周年記念式典を挙行した[6]。

梅田キャンパスと創立100周年(2011年 - 現在)

2011年(平成23年)11月、大阪市が実施した梅田東小学校跡地(北区茶屋町、4,650平方メートル)の売却入札で、法人が90億円で落札し[45]、翌2012年1月に取得した[6]。法人はこの土地に創立100周年記念事業の一環として「学園シンボリック拠点」となる梅田キャンパスを計画し[46]、地上22階・地下2階[注釈 4]、高さ約125メートルの「OIT梅田タワー」が2016年10月に竣工した[46][47]。2017年4月、大阪工業大学ロボティクス&デザイン工学部の拠点として梅田キャンパスが開設された[50]。2018年4月には同キャンパス内に大阪商工会議所と共同でオープンイノベーション拠点「Xport」を開設した[51][48]。

理事長は2014年1月に坂口が在任中に死去したため久禮哲郎が就任し[42][12]、2020年7月に任期満了に伴い西村泰志(元大阪工業大学学長)が選出された[47][52]。2014年には大宮校地に学園史料の収集・展示を行う常翔歴史館が開館した[53]。2018年7月の西日本豪雨では広島国際大学の東広島・呉両キャンパスに土砂流入や断水の被害が出た[48]。

2022年(令和4年)10月30日、法人は創立100周年を迎え、大阪工業大学梅田キャンパスの常翔ホールで記念式典を開催した[7][54]。式典では西村理事長が2037年までの長期ビジョン「J-Vision37」を発表し、歌舞伎俳優の松本幸四郎が特別講演を行った[7][55]。記念事業として『学校法人常翔学園100年史』が刊行され[56]、仁和寺霊宝館の開館95周年と合わせた特別企画展『国宝を護る仁和寺霊宝館 : 仁和寺名宝と片岡安の遺産』が開かれた[57]。

2025年8月19日には大阪・関西万博の大阪ヘルスケアパビリオンで設置各校の研究を紹介するイベント「常翔Day」を開いた[58]。2026年7月20日の理事会で常務理事の佐藤等が理事長に選定され[59][60]、同月27日には広島の学校法人比治山学園と中高大の連携や教育・研究の充実を柱とする包括連携協定を結んだ[61][13]。

年表

  • 1922年 関西工学専修学校を創設[3][4]
  • 1926年 財団法人関西工学を設立[3][4]
  • 1927年 関西高等工学校を開設[3]
  • 1928年 関西工学専修学校を関西工学校と改称[4]
  • 1932年 関西高等電機学校を開設(1934年に関西高等工学校へ併合)[4]
  • 1933年 関西工業学校を開設[3][27]
  • 1935年 城北校地(現・大宮校地)を取得[4]
  • 1939年 関西工学校を第一関西工学校と改称し、第二関西工学校を開設(いずれも1944年廃止)[4][43]
  • 1940年 関西高等工業学校を開設[3][29]
  • 1942年 関西高等工業学校を摂南高等工業学校と改称。摂南重機工業学校を開設[3][30]
  • 1944年 摂南高等工業学校を摂南工業専門学校と改称。摂南重機工業学校を摂南工業学校と改称[3][31]
  • 1947年 法人名を財団法人摂南学園と改称[3][4]
  • 1948年 関西工業学校と摂南工業学校を統合し、摂南学園高等学校を開設。摂南学園中学校を開設。関西高等工学校を摂南工科専門学院と改称[3][4]
  • 1949年 摂南工業専門学校を新制大学として昇格し、摂南工業大学を開設。法人名を財団法人大阪工業大学と改称、摂南工業大学を大阪工業大学と改称[3][4][32]
  • 1950年 大阪工業大学短期大学部を開設。摂南学園高等学校を大阪工業大学高等学校と改称。摂南工科専門学院を大阪工業大学専門学院と改称[3][4]
  • 1951年 法人を学校法人大阪工業大学に改組。摂南工業専門学校を廃止。摂南工業学校を廃止[3][4]
  • 1953年 大阪工業大学中学校を閉鎖[4][43]
  • 1962年 大阪工業高等専門学校を開設[3][4]
  • 1965年 大阪工業大学大学院を開設[3][4]
  • 1969年 藤田進が理事長に就任[4]
  • 1975年 摂南大学を開設[3][6]
  • 1979年 大阪工業大学中学校(元・摂南学園中学校)を廃止。大阪工業高等専門学校、大阪工業大学専門学院を廃止[3][6]
  • 1986年 学園章を制定[6][16]
  • 1987年 法人名を学校法人大阪工大摂南大学と改称。総長制を設置[3][6]
  • 1988年 摂南大学大学院を開設[3]
  • 1989年 八幡工学実験場を設置[6]
  • 1998年 広島国際大学を開設[3][6]
  • 2003年 広島国際大学大学院を開設[3]
  • 2005年 大阪工業大学大学院に専門職大学院(大学院専門職学位課程)を増設[3]
  • 2006年 大阪工業大学短期大学部が廃止[3]
  • 2007年 広島国際大学大学院に専門職大学院(大学院専門職学位課程)を増設。学校法人啓光学園と連携協定締結、同法人は法人名を学校法人常翔啓光学園と改称[3][6]
  • 2008年 法人名を学校法人常翔学園と改称。大阪工業大学高等学校を常翔学園高等学校と改称。総長制を廃止[3][6]
  • 2011年 常翔学園中学校を開設[3][6]
  • 2012年 法人カラーを制定。創立90周年[6][16]
  • 2013年 学校法人常翔啓光学園と法人合併[3][6]
  • 2014年 常翔歴史館を開館[53]
  • 2017年 大阪工業大学梅田キャンパス(OIT梅田タワー)を開設[50][43]
  • 2022年 創立100周年[7]

組織

役員・評議員

法人は理事会・評議員会・監事を置き、理事長のもとに常務理事と担当理事、事業策定会議を設けている[14]。2026年8月3日現在の役員は理事17人(うち非常勤の外部理事4人)と監事4人で、理事には設置3大学の学長と2つの中学校・高等学校の校長が含まれる[62]。評議員は寄附行為の定めにより、職員・校友・学識経験者の3つの区分から選ばれる[62]。

法人本部には監事室、内部監査室、法人室、渉外室、DX推進室、事業企画室(事業企画課・広報企画課)、総務部(総務課・人事課)、財務部(財務課・資金運用課)、施設部、学生募集支援機構が置かれ、常翔歴史館と常翔ホールも本部の組織とされている[2][63]。

歴代理事長

常翔歴史館の学園年譜に基づく[4][6]。代数は同年譜の表記に従う[注釈 5]。

さらに見る 代, 氏名 ...
代氏名在任期間備考
初代片岡安1926年4月6日 - 1934年12月23日建築家。関西工学専修学校初代校長[21]
2坂本助太郎1934年12月24日 - 1942年3月30日
3田上憲一1942年3月31日 - 1946年2月27日
4木下東作1946年9月9日 - 1946年9月19日
5佐藤一男1946年9月20日 - 1947年6月17日
6水川清一1950年2月22日 - 1954年6月7日
7田上憲一1954年6月8日 - 1969年1月17日在任中に死去
8藤田進1969年3月7日 - 2003年1月31日元総評議長・参議院議員。1987年9月1日から2003年3月1日まで初代総長を兼任
9東松孝臣2003年2月1日 - 2006年7月31日元関西電力専務[41]。2003年3月25日から2008年8月31日まで2代総長
10坂口正雄2006年8月1日 - 2014年1月25日元きんでん副社長。在任中に死去[42]
11久禮哲郎2014年1月29日 - 2020年7月元アルフレッサ ファーマ社長[12][52]
西村泰志2020年7月 - 2026年7月元大阪工業大学学長[52][59]
佐藤等2026年7月20日 -前常務理事[59][60]
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設置校

2026年4月1日現在の設置校は次の5校である[2]。

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学校所在地開設学部・課程(2026年4月)
大阪工業大学大阪市旭区(大宮)、大阪市北区(梅田)、枚方市1949年工学部・ロボティクス&デザイン工学部・情報科学部・知的財産学部、大学院4研究科[2]
摂南大学寝屋川市、枚方市1975年法学部・国際学部・経済学部・経営学部・現代社会学部・理工学部・薬学部・看護学部・農学部、大学院7研究科、留学生別科[2]
広島国際大学東広島市、呉市1998年保健医療学部・総合リハビリテーション学部・健康スポーツ学部・健康科学部・看護学部・薬学部、大学院4研究科、助産学専攻科[2]
常翔学園中学校・高等学校大阪市旭区高等学校1948年(摂南学園高等学校)、中学校2011年普通科(高等学校)[3][64]
常翔啓光学園中学校・高等学校枚方市中学校1957年、高等学校1960年(学校法人啓光学園が設置。2013年に本法人へ)普通科(高等学校)[4][44]
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廃止された学校

  • 大阪工業大学短期大学部(1950年 - 2006年)[3]
  • 大阪工業高等専門学校(1962年 - 1979年)。校地・校舎は摂南大学に引き継がれた[3][37]
  • 大阪工業大学中学校(1948年に摂南学園中学校として開設、1953年閉鎖、1979年廃止)[3][43]
  • 大阪工業大学専門学院(1927年に関西高等工学校として開設、1948年摂南工科専門学院、1950年改称、1965年閉鎖、1979年廃止)[3][43]
  • 摂南工業専門学校(1940年に関西高等工業学校として開設、1942年摂南高等工業学校、1944年改称、1951年廃止)[3]
  • 摂南工業学校(1942年に摂南重機工業学校として開設、1944年改称、1951年廃止)[3]
  • 第一関西工学校・第二関西工学校(1944年廃止)[43]
  • 大阪高等予備校(1924年 - 1938年)・浪速高等予備校(1926年 - 1936年)[4]

財務

2025年度(2026年3月期)の事業活動収入は約498億円(うち教育活動収入469億円)、事業活動支出は約450億円で、基本金組入前当年度収支差額は約49億円、学校法人の経営指標である事業活動収支差額比率は9.8パーセントであった[65][66]。法人は同比率が恒常的に8パーセントを超えることを目標としている[66]。資金収支では学生生徒等納付金収入が342億円、補助金収入が92億円で、教育活動による資金収支差額は92億円であった[66]。2026年3月31日現在の貸借対照表では資産合計が約2,734億円、負債合計が約309億円であり、2024年度以降は新規の借入を行わず借入金の返済を進めている[67][66]。

法人は有価証券による資金運用を行っており、2025年度の資金運用収益は22.6億円であった[66]。法人の財務担当者は私学経営の専門誌に運用体制の事例を寄稿している[68][69]。

規模

在籍する学生・生徒数は、2013年5月1日時点で約23,700人[12]、創立100周年の2022年時点で約2万5,000人である[14]。教職員数は2025年5月1日現在で2,994人(教育職2,023人、事務職その他971人)である[70]。

キャンパス・施設

法人は大阪府・広島県に8つのキャンパス(校地)を有する[71][72][73]。

  • 大宮校地(大阪市旭区) - 法人本部、大阪工業大学大宮キャンパス、常翔学園中学校・高等学校、常翔歴史館。1935年に取得[4][71]
  • 寝屋川校地(寝屋川市) - 摂南大学寝屋川キャンパス。1962年開設の大阪工業高等専門学校の校地を引き継いだ[37][71]
  • 枚方第1校地(枚方市) - 摂南大学枚方キャンパス、大阪工業大学八幡工学実験場。1964年に取得[4][72]
  • 枚方第2校地(枚方市) - 大阪工業大学枚方キャンパス。1979年に取得[6][72]
  • 枚方第3校地(枚方市) - 常翔啓光学園中学校・高等学校。2013年の法人合併により加わった[6][72]
  • 東広島校地(東広島市) - 広島国際大学東広島キャンパス。1998年開学時は黒瀬キャンパスと称し、2005年の黒瀬町と東広島市の合併で改称[6][73]
  • 呉校地(呉市) - 広島国際大学呉キャンパス。2002年開設[40][73]
  • 梅田校地(大阪市北区茶屋町) - 大阪工業大学梅田キャンパス(OIT梅田タワー)。2011年に落札、2012年に取得し、2017年開設[45][6][50][73]

常翔ホール

OIT梅田タワーの3・4階に設けられた576席(車椅子席4席を含む)のホールで、2017年2月に開館した[49]。コンサートホールとコンベンションホールの機能を併せ持ち、施主は学校法人常翔学園、設計は服部・石本・安井設計共同企業体である[49]。創立100周年記念式典の会場となった[55]。

常翔歴史館

大宮校地にある法人の歴史資料館で、2014年に開館した[53][74]。学園設置学校の歴史に関する資料の収集・保存・公開を行い、創設に関わった人物や学園年譜をウェブサイトで公開している[74][4]。2018年には大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)と共同で展覧会図録『大大阪モダニズム : 片岡安の仕事と都市の文化』を編集・刊行した[75]。

シンボル

学園章は1986年(昭和61年)12月15日に制定された。太陽の形と河の水面を表すラインを組み合わせ、青(法人は「トラストブルー」と呼ぶ)をメインカラー、灰色(「ウォームグレー」)をサブカラーとする[16][6]。

法人カラーは2012年(平成24年)9月26日に制定された「青藍(せいらん)」で、マンセル値は4.5PB 3/7、「青は藍より出でて、藍よりも青し」の故事に基づくと説明されている[16][6]。

創立記念日は10月30日である[4]。

中長期計画

法人は2012年に創立100周年に向けた長期ビジョン「J-Vision 2022」を策定し[6]、2022年の100周年記念式典で2037年までの基本構想「J-Vision37」を発表した[7][55]。J-Vision37は、設置各校の教育・研究力の連携による持続可能な社会への貢献、学びの成長を実感できる教育、設置各校の構成・規模の最適化と安定した財政基盤の確立などを掲げている[76]。

関連団体・関連会社

  • 常翔学園校友会 - 関西工学専修学校以来の設置各校(大阪工業大学、常翔学園中学校・高等学校、大阪工業大学短期大学部、大阪工業高等専門学校)の全卒業生を包含する同窓会組織。4つの学校別校友会と地域・職域の支部で構成される[77][78]。1976年に学園内の校友会を一本化して「大阪工業大学学園校友会」となり、1986年から連合体組織となった[6]。摂南大学校友会(1979年発足の卒友会が1985年に独立)、広島国際大学校友会(2002年発足)、常翔啓光学園中学校・高等学校の校友会は別に組織されている[6][77]。
  • 株式会社常翔ウェルフェア - 法人が100パーセント出資する会社で、設置各校の食堂・売店の運営や書籍販売などの受託業務を行う。1964年に開設された大阪工業大学学園食堂を起源とする。1993年設立の有限会社オー・ケイ・エスを2009年12月に株式会社常翔ウェルフェアへ移行し、2010年4月に常翔学園厚生会の事業を引き継いだ[79]。
  • 城北倶楽部 - 2005年に発足した学園卒業生の経済交流団体[6]。

年史・刊行物

法人は創立50周年以降、次の周年史を刊行している[18]。

  • 『大阪工業大学学園五十年史』(1972年)[6][18]
  • 『学校法人 大阪工業大学六十年史』(1982年)[6]
  • 『学校法人大阪工大摂南大学65年史』(1987年)[6][80]
  • 『学校法人大阪工大摂南大学70年史』(1992年)[81]
  • 『学校法人大阪工大摂南大学80年史』(2002年)[82]
  • 『学校法人常翔学園90周年映像年史 時代を超えて』(DVD、2012年)[83]
  • 『学校法人常翔学園100年史』(2022年)[56]

また、1984年には学園創設史検討会が『大阪工業大学学園創設史』を刊行しており、その第4巻は「学園創設者に関する虚像と実像」を副題とする[84]。学園広報誌として『FLOW』を発行している[18]。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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