池松時和
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鹿児島県出水郡武本村向江平良馬場(現在の出水市向江町)[3]にて鹿児島県士族(元薩摩藩士)・池松静蔵の長男として生まれる[1]。幼名・与一郎[4]。父静蔵は西南戦争で戦死[4]。1878年3月、家督を相続する[1]。1893年7月鹿児島高等中学造士館予科卒業、1895年7月鹿児島高等中学造士館本科卒業[5]。1898年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業[6]。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り警視庁警部となる。
以後、佐賀県参事官、群馬県警部長、岩手県警部長、栃木県事務官・第四部長、愛知県事務官・第四部長、福井県内務部長などを歴任。
1912年3月、福井県知事に就任。以後、千葉県知事・滋賀県知事・和歌山県知事・大阪府知事を歴任。1922年10月、京都府知事となる。郡部の道路整備、養蚕業の振興を推進した。1924年12月に辞任し退官。1933年に都ホテル株式会社取締役会長に就任した。宗教は浄土宗[7]。趣味は読書[7]。
福井県知事就任直後、福井県会(県議会)において国民党と政友会の対立により予算不成立になった際は、臨時県会を招集して両会派の調停に努め予算成立に尽力[4]。その後、各府県知事を歴任する中、各地の政友会に協調して仕事をしたため、政友会系の知事とみなされた[4]。第二次世界大戦後は郷里に戻って余生を送った[4]。
