平糧台遺跡
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平糧台遺跡は淮陽県東南4キロメートルの大朱村西南に位置しており、4300年前の遺跡としては、保存状態は良好である[1]。周囲の地面より3メートルから5メートル高く、全体の面積は約5万平方メートル[2]。1979年と1980年の2度の発掘調査によって、城跡は1辺185メートルの正方形で、面積は約34000平方メートルに達することが明らかになった[3]。
城壁は小規模の版築土壁を積み重ねる工法で造られていた。まず内壁として高さ1.3メートル、幅0.8メートルから0.85メートルの小さな版築土壁を造り、次にその外側に土を突き固めながら積み上げていき、しだいに高さを増して内壁を乗り越える。その後、さらにその上に城壁上部を築くという工法である。現存する城壁の高さは約3メートル、幅は頂上部で約8メートルから10メートル、基底部で13メートル。南門と北門は、いずれも南壁・北壁の中央に位置している。南門内の東西両側には城壁を建物の一部として利用した日干しレンガ積みの門衛部屋があり、その出入口は互いに面していた。大きさはいずれも南北4.2メートルから4.4メートル、東西3.1メートルから3.3メートル。2つの門衛部屋にはさまれた門道は、幅約2mであった[3]。
門道の地下には、排水設備が設けられていた。まず北から南に向けて下り勾配がつき、上部が広く下部が狭くなった一筋の溝を掘る。上部の幅ならびに溝の深さは74センチメートル。この溝の中に3本の配水管が、溝の底に1本、その上を2本が並行して走るという位置関係で敷設されていた。配水管の周囲には、姜石[注釈 1]と土がつめられ、その上に土を盛って門道の地面としていた[3]。発掘された時点で、いくつかの短い管を連結した配水管が長さ約5メートルにわたって残っていた[4]。それぞれの管はほぼ円筒形で、長さは0.35メートルから0.45メートルと一定ではなく、直径はやや細い一端が0.23メートルから0.26メートル、やや太い一端が0.27メートルから0.32メートル。このような管が細口を南に向けて、次の管の広口に差し込むという具合に1つずつ据えられていた。中国における排水設備としては、最古の発見例であった[5]。
平糧台遺跡では横に長い長方形の建築跡が10数棟発見されている[5]。一般的な竪穴建物や壁建ち建物のほかに、基壇をもった壁建ち建物が認められ、階層格差が広がっている状況が読み取れる[6]。いずれも日干しレンガを建築材料としていた。遺跡内から出土した遺物は多くが土器であったが、1つの灰坑から銅の精錬カスが出土した。これにより初歩的な銅の精錬技術が知られていたと判明した[7]。
脚注
参考文献
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。
- 宮本一夫『中国の歴史01 神話から歴史へ 神話時代 夏王朝』講談社、2005年。ISBN 4-06-274051-6。