大分県出身。1905年(明治38年)に陸軍士官学校を卒業し、工兵少尉に任官した。工兵第18大隊長、東部第42部隊長、桐生高等工業学校配属将校、秋田連隊区司令官などを歴任し、1942年(昭和17年)に陸軍少将に昇進した。
桐生高等工業学校の配属将校であった縁から1944年(昭和19年)に桐生市長に選出され、翌年まで在任した。
市長辞職後、公職追放でいったん桐生を去るが[3]、再び桐生を訪れて当時の前原一治市長に「庁内の掃除でもやらせてくれないか」と持ち出した。前原は清掃監督なるポストを設けて雇ったが、広瀬は過去の栄光を断ち切って黙々と職務に励んだという[4]。