広瀬哲士

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ひろせ てつし

広瀬 哲士
生誕 1883年9月9日
日本の旗 日本岡山県勝田郡河辺村
(現・津山市
死没 1952年7月26日(68歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 旧制第一高等学校
東京帝国大学文科大学
職業 教育者
団体 慶應義塾大学関係者
肩書き 慶應義塾大学教授
家族 広瀬台山(曽祖父)
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広瀬 哲士(ひろせ てつし、1883年明治16年〉9月9日 - 1952年昭和27年〉7月26日)は、日本のフランス文学者慶應義塾大学教授。岡山県津山市出身[1]

生い立ち

1883年(明治16年)岡山県勝田郡河辺村瓜生原(現:津山市瓜生原)にて出生する[1]。生家は、曽祖父に書家で有名な広瀬台山がいる。地元の旧制岡山県津山尋常中学(現:岡山県立津山高等学校)へ1期生として入学する[2]。1900年(明治33年)に同校を卒業し、その後、東京にある旧制第一高等学校へ進学する[3]。1904年(明治37年)7月に同校を卒業する[4]

この後、同年、東京帝国大学文科大学へ進学し[5]、東大ではフランス語を専攻[2]、1907年(明治40年)7月に同大学を卒業した[6]

大学教授として

その後、慶應義塾大学文科の講師として、18世紀のフランス文学史の講義を行う。同県出身の太宰施門と共に、フランス学舎を組織した[2]。1910年(明治43年)慶應義塾大学の教授となる[7]。1928年『仏蘭西文学其他』を創刊、フランス近代文学の翻訳、紹介につとめた[7]。また、三田文学の創刊者の1人でもある[8]。1952年(昭和27年)7月26日、68歳で死去[7]

著作

出典

外部リンク

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