広瀬哲士
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生い立ち
1883年(明治16年)岡山県勝田郡河辺村瓜生原(現:津山市瓜生原)にて出生する[1]。生家は、曽祖父に書家で有名な広瀬台山がいる。地元の旧制岡山県津山尋常中学(現:岡山県立津山高等学校)へ1期生として入学する[2]。1900年(明治33年)に同校を卒業し、その後、東京にある旧制第一高等学校へ進学する[3]。1904年(明治37年)7月に同校を卒業する[4]。
この後、同年、東京帝国大学文科大学へ進学し[5]、東大ではフランス語を専攻[2]、1907年(明治40年)7月に同大学を卒業した[6]。
大学教授として
その後、慶應義塾大学文科の講師として、18世紀のフランス文学史の講義を行う。同県出身の太宰施門と共に、フランス学舎を組織した[2]。1910年(明治43年)慶應義塾大学の教授となる[7]。1928年『仏蘭西文学其他』を創刊、フランス近代文学の翻訳、紹介につとめた[7]。また、三田文学の創刊者の1人でもある[8]。1952年(昭和27年)7月26日、68歳で死去[7]。