広野織蔵
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第百三十三国立銀行の創始者の一人である廣野古矩の二男として[1][2]、彦根に生まれる[3]。廣野家は彦根藩士の家系で[2]、1915年時点で織蔵も滋賀県の士族であったと『人事興信録』に記されている[1]。兄は源太郞で、織蔵がのちにその跡を継いだ[1]。
幼少時は彦根藩の藩校に学んだ後、彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)を卒業した[3][注釈 1]。その後京都に出て儒学者の谷鉄臣・草場船山らに漢籍の指導を受けた[3]。21歳で帰郷して第百三十三国立銀行に入行し、1886年に同行の取締役、1894年には同行の頭取となった[3][2]。1895年には近江貯蓄銀行の頭取[4]、1896年には彦根商業銀行の頭取を兼任した[5]。
1898年、西村捨三に請われて、阿部市郎兵衛らとともに近江鉄道の経営陣に参加する[6][7][注釈 2]。当時の近江鉄道は経営危機に陥っていたが、他の経営陣とともに借り入れの連帯保証を引き受けるなどしつつ経営再建に努め、1926年に宇治川電気が近江鉄道を買収するまで経営の中心を担った[8]。
このほか敦賀電燈の社長にも就いた[6]。近江絹糸の初代社長でもあったが、同社の社史『オーミケンシ外史 五十年のあゆみ』(1967年)は、彦根の実業家数名の出資によって作られた会社で名目的な社長であったと記している[9]。
人物
趣味は囲碁と書画骨董の鑑賞であったとされる[6]。
