府中カントリークラブ
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| 府中カントリークラブ Fuchu Country Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 所在地 |
東京都多摩市中沢一丁目41番1号 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 開業 | 1959年(昭和34年)11月3日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 設計 | 富澤 誠造、横山 良(改修設計) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 運営者 | 株式会社 府中カントリークラブ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 公式サイト | 府中カントリークラブ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
赤星四郎は、1953年(昭和28年)7月20日、東京の銀座に、ゴルフ練習場とベビーゴルフ場を経営する「銀座ミネチュアゴルフ株式会社」を設立した、場所は銀座二丁目の銀座館ビルの屋上施設である[1]。しかし、設立から僅か2年で経営難に陥った、それを救ったのが札幌グランドホテルの社長・岩田彦二郎だった[1]。岩田は、「相模カンツリー倶楽部」(1931年(昭和6年)開場、設計・赤星六郎)の会員で、獅子文六(岩田豊雄)の実弟である[1]。岩田は、銀座ミネチュアゴルフを買収し、銀座館ビルの屋上に4レーンのボウリング場とレストラン、集会場、タウンクラブを造り、1,000名を超えるスポーツマンクラブを開設した[1]。
岩田彦二郎は、新たなゴルフ場の建設に急展開した、1958年(昭和33年)3月、建設用地を東京都南多摩郡多摩村の約27万坪を決定し、コース設計を戦前の「武蔵野カンツリー倶楽部」(1926年(昭和元年)開場、1944年(昭和19年)閉鎖、設計・大谷光明、赤星六郎、)時代の知人である富澤誠造に依頼した[1]。銀座ミネチュアゴルフ社長の岩田は会長に退き、相模カンツリー倶楽部の佐藤享が社長に就任した[1]。同年10月、クラブの名称を「府中カントリークラブ」に決定し、同年12月、造成工事を着工し、翌1959年(昭和34年)4月、クラブハウスを着工した[1]。
1959年(昭和34年)11月3日、造成工事が完成し、18ホール、6,840ヤード、パー72規模のゴルフ場が開場された[1]。1965年(昭和40年)7月、創業理事長の佐藤享が退社し、二代目理事長に岩田豊雄が就任した[1]。1965年(昭和40年)12月、多摩ニュータウン計画が発表された、八王子中心に912万坪、11万戸、41万人の大規模な計画である[1]。1968年(昭和43年)8月、都知事の美濃部亮吉が「農家だけに土地を提供を求めるものではない[1]。府中カントリークラブ、「東京国際ゴルフ倶楽部」(1961年(昭和36年)開場、設計・赤星四郎)も買収の対象」と講演会で発言した[1]。
都知事発言により、府中カントリクラブは、18ホールのコースから練習場に、東京国際ゴルフ倶楽部は27ホールのコースから9ホールを買収された[1]。その後、1972年(昭和47年)、田中内閣が登場し、列島改造論で事態は一変した、地価が高騰し、東京都による府中カントリークラブの買収が不可能になり、九死に一生を得た[1]。
所在地
〒206-0036 東京都多摩市中沢一丁目41番1号
