康忠
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概略
人物
中国陝西省京兆郡出身の康叔の次男の67代子孫[3][4][5]の康虎景の息子が康忠であり、康忠は、伊帝建と康宝育を授かる。康宝育は姪の徳周を娶り娘の康辰義をもうけ、その康辰義と中国人とのあいだに生まれたのが王帝建である[6]。王帝建の父の中国人は唐の皇族で[7]、『編年通録』と『高麗史節要』では粛宗、『編年綱目』では宣宗である[8][7]。父の中国人が新羅に来た時に、康宝育の娘の康辰義との間に王帝建は生まれた[7]。王帝建は、父を探しに唐に行くため黄海を渡河していた途上、西海龍王の娘の龍女(後の元昌王后)と出会い、王帝建は、西海龍王の娘の龍女(後の元昌王后)の駙馬となる。『聖源録』によると、西海龍王の娘の龍女(後の元昌王后)というのは、中国平州出身の頭恩坫角干の娘のことである[9]。そして王帝建と西海龍王の娘の龍女(後の元昌王后)との間に息子の王隆が生まれる[7][9]。その王隆の息子が高麗の初代王王建である[3][1]。