廣川充志
日本の柔道家
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人物
小杉南中学から桐蔭学園高校へ進むと、2年の時にインターハイの軽重量級で5位になった[2]。一方で、団体戦では1つ年下の井上康生率いる東海大相模高校に後一歩のところで阻まれ続けて、インターハイ団体戦と高校選手権には出場することができなかった[2]。
1996年には中央大学へ進むと、2年の時には全日本ジュニアの決勝で国士舘大学2年の斎藤制剛に敗れるも2位となった[5]。3年の時には正力杯で優勝すると、優勝大会でも3位になった[5][6]。
2000年にはセコムの所属となると、2001年の実業個人選手権では優勝、講道館杯でも3位に入った[7][8]。2002年からは了徳寺学園の職員へ転身した。一方、筑波大学の大学院へも進学した[2]。体重別と講道館杯ではともに3位となった[8][9]。2004年の体重別でも3位だった[9]。2005年には実業個人選手権で2度目の優勝を飾ると、講道館杯では決勝まで進むものの、旭化成の斎藤に敗れた[7][8]。その後も体重別で2度3位になった[9]。
引退後は桐蔭横浜大学の柔道部監督となった。2012年からは新たに全日本代表監督になった井上の要請を受けて、代表コーチにも就任した。代表チームでは90kg級を担当することになり、2016年のリオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得したベイカー茉秋や、元世界2位の西山大希、アジア大会優勝者の吉田優也などの指導にあたった[2]。リオデジャネイロオリンピック後に代表コーチを退任した[10]。