弁財天宮
From Wikipedia, the free encyclopedia
位置
北緯32度59分08.0秒 東経129度07分07.7秒 / 北緯32.985556度 東経129.118806度座標: 北緯32度59分08.0秒 東経129度07分07.7秒 / 北緯32.985556度 東経129.118806度
主祭神
田霧姫神
社格等
旧無格社
| 弁財天宮 | |
|---|---|
|
鳥居と拝殿 | |
| 所在地 | 長崎県南松浦郡新上五島町有川郷 |
| 位置 | 北緯32度59分08.0秒 東経129度07分07.7秒 / 北緯32.985556度 東経129.118806度座標: 北緯32度59分08.0秒 東経129度07分07.7秒 / 北緯32.985556度 東経129.118806度 |
| 主祭神 | 田霧姫神 |
| 社格等 | 旧無格社 |
| 創建 | 元禄4年(1691年) |
| 別名 | 弁天 |
| 例祭 | 2月12日 |
| 地図 | |
弁財天宮(べんざいてんぐう)は、長崎県新上五島町有川郷に鎮座する神社である。 また、当社に関連した『弁財天(めーざいてん)祭り』も記す。
田霧姫神を祀る。
歴史
寛文元年(1661年)、五島藩からの富江領分知に端を発した有川湾における海境問題が起こった。当時の有川6ヶ村の大庄屋である江口甚右衛門は、有川側に不利なままの海境問題について五島・富江両藩に訴え出たが解決することができず、貞享4年(1687年)4月、江戸公訴に踏み切る。
江戸での裁定はなかなか決まらず、江口甚右衛門らは3度に渡り江戸に上った。江戸滞在中には96社の神仏に勝訴を祈願し、元禄3年(1690年)5月6日、ついに有川側の勝訴の裁許が下る。江口甚右衛門は勝訴祈願の96社の内、鎌倉弁財天への信仰が篤く、勝訴後の帰郷の折には分霊を奉じ、有川の丑寅(北東)の鬼門に当たる浜地区の御小島に奉祀。有川村及び江口甚右衛門によって操業された捕鯨組織『有川鯨組』の守り神とした。また御小島を正面に見渡せる岩場(現弁財天宮鎮座地)に遥拝所を設け、その後現在の地に奉遷した。
