引田天功 (2代目)
日本の女性イリュージョニスト
From Wikipedia, the free encyclopedia
引田 天功(ひきた てんこう)は、日本のイリュージョニスト、エスケープアーティスト[2]。別名は、プリンセス・テンコー(PRINCESS TENKO[注釈 1])、及びプリンセス天功[3]。日本奇術協会国際交流委員長。本名は板倉 満里子(いたくら まりこ)。
初代引田天功の死後、1980年12月15日に2代目を襲名。その後、日本を経てラスベガス在住。2025年現在は、1年間を約4分の1ずつに分けてアメリカ、ヨーロッパ、アジア、日本の4拠点生活を送りながら(2025年3月時点は、イタリアのフィレンツェで暮らしていた)、年間300ステージ、実働200日で公演を続けている[4]。
「UFCに出場するため地球に降り立った」と米国のプロフィールでは紹介されている。公式プロフィールでは、1995年より全てのパーソナル・データが不詳または未公開になっている。「世界的イリュージョニスト」と称されていることもあり[3]、“海外で人気の高い日本人の一人”とも言われている。[要出典]
イリュージョニスト以外では、格闘技イベントやテレビ番組のプロデュースも行っている[2]。米国オークション運営会社「ジュリアンズオークションズ」との共同事業を展開し、マイケル・ジャクソンのプライベート品のオークションも担当[2]。これまでに孤児院や障害者施設などたくさんの施設やレスキュードッグの育成団体、国内外の被災地など色々と寄付をしてきた[5]。
エピソード
子供時代
新潟県生まれで[3]、3人きょうだいの次女として育った[3]。乳児期に頭蓋骨に難病を患い、医師から「18歳まで生きられないかもしれない」と宣告され、アメリカの子供病院で手術した[3]。手術は成功したものの、幼少期から体が弱かったこともあり[6]、まだ早世する不安を感じていた両親の「この子が生きていた証を残したい」との思いから子役業を勧められ、幼少期から日舞、ピアノ、クラシックバレエなどを習い始めた[3][注釈 2]。幼児のころからモデルなどをしていた[7]。10代になると『プチセブン』や『Seventeen』にも出ていた[6]。
高校生の頃に上京し、母の従兄弟・森康明[注釈 3]が社長を務める芸能プロダクションに入所[3]。そこが脱出マジックのパイオニア・初代引田天功(以降、「初代」と表記)の事務所だったことから彼のマジックショーのアシスタントを務める[3]。15~16歳の時、バラエティ番組『8時だョ!全員集合』の仲本工事の体操コーナーでタレントに体操の手本を見せる役として毎週出演した[6]。当時特にマジシャンを目指していたわけではなかったが、マジックを教わり始めた結果、1976年には初代に師事することになった[3]。
マジシャンとして活動開始
1977年に初代が心筋梗塞で数日間入院することになり、社長の森から「恐怖の空中ケーブル大脱出」(日本テレビ)の代役を指示されて出演[3]。本番では初代の体型[注釈 4]に合わせた脱出道具に少し手間取ったり、鼓膜が破れるハプニングもあったが何とか脱出[3]。番組は成功を収め、視聴者から「可憐な少女による脱出マジック」として話題になった[3]。
1978年6月21日、マジックを披露しながら歌う異色のアイドル歌手として「朝風まり(あさかぜ まり)」の芸名でCBS・ソニーからデビュー[8]。デビュー・シングル『ザ・マジック』(都倉俊一作曲、酒井政利プロデュース[3])、2ndシングル『くせになるから』を発売する。後年、純粋にアイドル歌手としてデビューしたかったため、「マジックしながら歌うのはちょっと嫌だった」と発言している[9]。
2代目引田天功襲名
1979年に初代が再び心筋梗塞を起こして急死すると、後援会の要望[注釈 5]で1980年12月15日に2代目を襲名(襲名披露場所はホテルニューオータニ)。襲名後は、改めてマジックを0から勉強し直し、膨大な量の知識と技術を覚えながら、初代が出演するはずだった公演もこなすというハードスケジュールがしばらく続いた[3]。「日本の脱出王」の異名を持つ先代の遺志を受け継いだ上で、衣装やライティング、特殊効果に至るまでを計算し、幻想を具現化する空間プロデュースした大がかりな「イリュージョン」を展開するようになる[3]。ステージで音楽とダンスを取り入れながら大勢のアシスタントと共に作り上げる天功のイリュージョンは、当時のマジック界に革命を起こした[3]。
1980年代後半に欧米のショービジネス界に進出し、2代目引田天功から「プリンセス・テンコー」に改名[3]。1995年には、アメリカのサバン・エンターテイメント制作のアニメ「テンコー&ザ・ガーディアンズ・オブ・ザ・マジック」が全米約60局で放送される大人気となった[3]。その後は国外活動の比重を置いて世界各地で公演を展開している。
人物
- 本人によると、「母は高田藩主榊原家の末裔で、父も由緒ある武家の流れをくむ名家」とのこと[3]。
- 子供時代は、母が洋裁・和裁の先生をしていた関係で、『装苑』に子供モデルとして出たことがある[6]。
- 10代の頃は舞台女優になりたいと思っており、当時所属していた森康明の事務所に入った後、森繁久彌劇団で舞台女優を目指そうと考えていた[6]。
- アイドル歌手(朝風まり)としては、サザンオールスターズが同期[6]。当時人気があったビューティペアの前座を務めていた。本人は後年、「先輩がみんな優しくて、周りのアイドルとも仲が良くて楽しい事ばかりだった」と懐旧したが、「マジシャンになってから嫌な事ばっかり」と愚痴をこぼした。
- 朝風まり時代からの後援会長は佐川急便創業者であり会長の佐川清。佐川は天功の父親の同級生で、後援会員には第64・65代内閣総理大臣・田中角栄もいた[7]。
- 先代の教えである「体を張った本物のイリュージョン」を守っており、2代目引田天功襲名直後に、フジテレビの「遊覧船大爆発」という脱出企画で大ケガをした[10]。両手両足を拘束されてガラスケースの中に入った天功は、爆発する船から脱出するイリュージョンを披露。前代未聞の企画だったためか、予定より早く船が爆発したために脱出済みであった天功は、大量の煙を吸い込んで一酸化炭素中毒となって気絶する。病院に運ばれると血液が真っ黒になっていることが判明し、それが脳に到達すると危険なため手術で全身の血を入れ替えた[10]。このような状態だったが、退院してその翌週の公演にも休むことなく出演する。他にも鼓膜を貼り替える手術を5回受けたり、機械のミスでナイフが刺さり肋骨を折る怪我を負ったりする。本人によると全身の血液を変えたことで性格が変わり、「以前は人の言うことを素直に聞く良い子だったが、血液交換後は人の言うことを聞かなくなり、ものすごくアクティブになった」ため、「血液の持ち主がすごく強い人だったのかもしれない」と語っている[10]。
- 過去にものまねタレントのほいけんたが、天功率いる「東京魔術団」のメンバーとして所属し、ショーのアシスタントを勤めていたことがある[注釈 6]。
- 幼少期に手術を行ったアメリカの病院の経営者は、ラーセン夫妻という人で、その後イリュージョニストとなった天功のアメリカ進出をサポートしてくれたため、彼女から「アメリカの父と母」と称されている[注釈 7]。
- 1990年代にバービー人形で知られるマテル社と契約し、アメリカで「テンコー人形」を発売して800万体以上も売れる大ヒットとなった[3]。この時マテル社との契約により、(プリンセス・テンコーとして)「永遠に24歳」、「日本人ではなく、アメリカ生まれのアメリカ育ちの日系人」というキャラクターになっている[3]。アメリカでの契約条項では「引田天功」と「プリンセス・テンコー」は別のキャラクターとして設定されており、演じるマジックやイリュージョンも全く別々のものである。引田天功は日本人だが、プリンセス・テンコーはアメリカ出身のアメリカ人という設定が与えられているためである。引田天功は喋らない設定であるため、テレビ番組にはプリンセス・テンコーとして出演する場合が多い。[要出典]
- アメリカとの契約上は細かい設定(契約箇所は100以上に上る[11])があり、「髪は黒髪のストレートで、前髪の長さやまつ毛の向きなどの指定」「太っても痩せてもいけない」[11]「ミステリアスな話し方をしなくてはならない」「四方にボディーガードを配置する」「電車に乗ってはいけない」「スーパーやコンビニで買い物をしてはいけない」[12]「日本人と結婚してはいけない」[注釈 8]など、契約書の長さは1メートルにも及ぶ。一度、天功が金髪に染めた際にすぐに電話がかかり国際裁判にかけられたが、とっさに「あれはカツラです」と嘘をついたため難を逃れた[13][14]。
- また、アメリカでは宇宙人がいると信じられているため、宇宙人に公演を売る場合の契約書にもサインしている[11]。「もし火星人が来た時にも公演してもらう」と言われ、天功が「宇宙人なんて本当にいるんですか?」と聞いたところ、「内緒だけど、いる」と言われた。本人は「アメリカの契約は、本気なのかジョークなのか分からない部分がある」と語った。[要出典]
- 昔からお笑いが大好きなこともあって[6]普段は笑い上戸である[3]。ただし、2代目引田天功襲名前に周りから「マジックは神秘的な世界だから声を出して笑ってはいけない」と教わっていたため、襲名後のマジシャンとしての活動中はそれを守っている[3]。幼少期のほとんどを、アメリカの子供病院で過ごしたため、英語はネイティヴに話せる。しかし、契約上言葉を話す事はしない。日本では舞台では一言も話さないが、他ではごく普通に会話したり、ジョークも飛ばすが公演の際にはかなり気をつけているという。[要出典]
- 子供の頃から絵を描いたり、ドレスなどを作るのが好きで、時間に余裕がある時は創作活動をしていることが多いとのこと[5]。
- 愛車はロールスロイス、ハーレーダビッドソン[5]。
- 上記のように契約も相まって、1人で買い物をするといった「普通の人がやるような一般的なことが未経験」というものも多い(例:100円ショップやデパ地下にも行ったことがない。2024年8月現在)[12]。
- 2000年代初めに宇宙旅行をしたいと思い立ち、宇宙の無重力飛行に耐える訓練をロシアのスターシティで受けている[注釈 9]。本人によると宇宙旅行の順番待ちでは、ハリウッドスターのロバート・デ・ニーロの次になっており、彼と一緒に訓練を受けたこともある[10]。
- 公演日の食事はメキシコ人の専属シェフが作っているが、それ以外の日の食事は主に宇宙食を食べている[注釈 10]。ちなみに、2024年に生まれて初めてラーメンを食べた[12]。
- 「心を許せるパートナー」と称するほど動物が大好き。これまでに多種多様な動物を飼っており[3]、現在(2024年)日本では、「KING」と名付けたホワイトライオンを飼っている[15]。ラスベガスではホワイトタイガー、マウンテンライオン、サーバルキャットなどの他、たくさんの犬や猫や、珍しいとされる三毛猫のオスも飼っている[15]。ホワイトタイガーは赤ちゃんの頃から飼いしっかり躾もしているため、本人曰く「猫ちゃんと同じ」であり大人しいが、訪問客は必ず驚くという。[要出典]また、北朝鮮の金正日総書記から白頭山の天然記念物の犬を贈られたり、ロシアのウラジーミル・プーチンからも犬をプレゼントされる[3]など、ほとんどのペットは貰ったものとされる。ジャックラッセルテリアを日本に初輸入し、この犬種を紹介した人物でもある[2]。レスキュードッグ育成団体特定NPO法人日本レスキュー協会特別顧問[2]。
- 本人曰く「時給制」であり、海外公演での契約額は時給5,000万円である[16](日本公演の契約額は不明)。海外、特にテレビ出演よりも舞台公演の方が需要が高いアメリカ合衆国ではこの制度は比較的普通な事であるが、その代わりにセットや人件費は、全て自己負担である。[要出典]
- 北朝鮮で公演した際に、水からの脱出イリュージョンにて、金正日が「(日本とは)水が違うから肌が荒れるといけない」という理由から、脱出で使う水槽用の水として2トンものÉvianを用意してくれた[17]。本人は「優しいんだか優しくないんだか、わからない」と思ったという。[要出典]
ディスコグラフィー
朝風まり時代
| タイトル(A面) | タイトル(B面) | レコード会社 | レコード番号 | 発売日 |
|---|---|---|---|---|
| ザ・マジック | 恋はマジシャン | CBS・ソニー | 06SH-349 | 1978年6月21日 |
| くせになるから | 海に来た女 | 06SH-534 | 1979年6月21日 |
CD
- アイドル・ミラクルバイブルシリーズ 77~79 Girls ~園田ことり・西かおり・西村まゆ子・朝風まり・菅沢恵子(2013年9月6日)
配信シングル
- 『Majical Jungle』KinG00(キング)※引田天功、yucat、ペットのホワイトライオン「キング」による2人と1匹のユニット(2024年3月3日)
著書
その他
- 北朝鮮の金正日総書記は彼女の大ファンだと伝えられており、1998年4月には平壌に招聘されてマジックショーを披露し、総書記主催の盛大なパーティーで歓待された。「北朝鮮滞在中に原因不明の病気で倒れ入院、帰国の予定が遅れる羽目になり、帰国後も身辺に連続して奇怪な事件(愛車の盗難やレア物のミッキーマウスのぬいぐるみすり替え事件等)が起こった」とテレビ番組等で証言している。また、拉致被害が明らかにされた後のテレビ番組で、元北朝鮮の工作員に対し「(プリンセス天功さんは)拉致の対象になりますか?」とテレビ番組の企画で質問された際、元工作員は「彼女なら充分拉致のターゲットになる(≒それだけの価値がある)」と答えている。これらのこともあり、2011年に金正日が死去した際には葬儀に招待されたが、参列は見送った[18]。
来歴
- 1980年8月、『電子戦隊デンジマン』第31話にゲスト出演し、ベーダー一族に殺されたマジシャンの父、朝風天山の志を継いでマジシャンを目指す女性・朝風まり役(当時の芸名と同名の役)を演じた。
- 1981年3月、『ザ・ハングマン』第17話にゲスト出演。拳銃密売に加担したために、口を封じられた予備校生の姉のマジシャン・引田麗華役で出演。
- 1982年10月、『宇宙刑事ギャバン』第29話に本人役でゲスト出演。
- 1983年3月、『遠山の金さん 第1シリーズ』第46話におこう役でゲスト出演。
- 1987年9月、『超人機メタルダー』第24話に本人役でゲスト出演。
- 1988年7月、FISMハーグ(オランダ)大会のガラショー(特別ステージ)にゲスト出演。12月、一枚の写真に出演。
- 1990年、米国マジックアカデミー賞の大賞である「90マジシャン・オブ・イヤー」(女性として初[3])をビバリーウィルシャー・ホテルで受賞。また同年、米国でインターナショナル・ベストエスケープアーティスト大賞を受賞[19]。
- 1995年、TVアニメ「テンコー&ザ・ガーディアンズ・オブ・ザ・マジック」放送
- 1996年、AWF(アフリカ野生動物保護基金)の日本事務局親善大使に就任[3]。
- 1997年、この年の紅白歌合戦から2002年まで歌手美川憲一のイリュージョン演出を手掛けた。
- 2000年、2代目引田天功襲名20周年を記念し、フジテレビにより最後の脱出マジックが行なわれた。
- 2000年7月、福井県勝山市の恐竜エキスポふくい2000に出演。
- 2002年、ヴァンフォーレ甲府を経営危機から建て直すためにユニフォームスポンサー(背番号部分)になり話題を集め、チームもその後躍進を遂げ、2006年シーズンにはJ1に昇格した(スポンサー契約は2003年まで)。
- 2003年、『笑っていいとも!』の水曜放送分に2004年9月まで隔週レギュラーとして出演。このころより年間約300ステージをこなしている他、テレビのバラエティー番組やワイドショーへの出演が増える。
- 2004年より、サガン鳥栖を支援。
- 2005年11月発売 GQ USA版にて北朝鮮緊急インタビューが掲載。
- 2006年より米国プロ野球マイナーリーグAAAのチーム、ラスベガス・フィフティワンズを支援。
- 2007年4月1日よりオフィシャルブログを、アメブロにて開始。
- 2007年4月16日 イギリスBBCにて特別インタビュー番組(MCジョナサン・ロス)が放送された。
- 2007年7月22日 福井県鯖江市で公演中、機材トラブルに見舞われて怪我をした[注釈 11]。新聞報道では、「警察ではたいしたことはないといっている」だったが、事務所は「2ヶ月の重傷」と発表した。重傷を押して2日で退院し、次の名古屋公演に出演したことで話題となった。
- 2008年より、山梨クィーンビーズを支援。
- 2011年1月16日、『run for money 逃走中』に卑弥呼役で出演。
- 2011年12月15日 カンボジアのカジノホテル「ゴールデンパーム・カジノ&ホテル」の共同オーナーに就任[20]。2012年1月22日オープン。
- 2013年10月1日、森企画事務所から吉本興業[注釈 12]へ所属事務所を移籍。
テンコー&ザ・ガーディアンズ・オブ・ザ・マジック
1995年11月より米国で放送されたサバン・エンターテイメント(現・BVSエンターテイメント)製作のアニメ、全13話。世界を滅ぼさんとする悪の双子にテンコー率いるガーディアンズが挑む。 なお、ガーディアンズの先代リーダーは初代引田天功で精霊としてテンコーに助言を与えるシーンもある。
毎回テンコー本人が実写で登場し、イリュージョンを演じており、第1話放送前にはテンコーがシリーズの紹介をする特別編が放映されている。 本作の放送に併せてマテルよりバービーのシリーズとしては初の実在の人物をモチーフとするテンコー人形が発売、クリスマスには800万体が売り切れた。 米国での放送が同時期にありドールの販売競争を繰り広げたセーラームーンがライバルとして扱われることがある。[要出典]
テンコーがイリュージョンの最中に「スターファイヤー」と叫ぶことがあるが、このアニメの決め台詞である。
安全確保と本作のイメージを守るため、サバンとの間で以下の終身契約が決められている。この契約は後にウォルト・ディズニー・カンパニーに引き継がれている[21]。
- 年齢設定 24歳
- 太っても痩せてもいけない
- 髪の毛の色は黒色
- 前髪の長さは規定の長さに従う
- 話し声はミステリアスでなくてはならない
- 化粧は指定された物を使用する
- 電車に乗ってはいけない
- コンビニやスーパーへ行ってはいけない
- 買い物は全て通信販売で買わなければいけない
- 東西南北に一人ずつボディーガードをつけなければならない
- 日本人と結婚してはならない(アニメの中でアメリカ人と恋に落ちる設定のため)
- 同じステージに「引田天功」と「PRINCESS TENKO」が現れてはいけない
- 本人曰く、全身100か所の取り決めがあるとの事。