張広建

From Wikipedia, the free encyclopedia

張 広建(ちょう こうけん)は清末民初の政治家、軍人。民国初期の数年間に甘粛省を統治した。北京政府安徽派の要人である。勲伯

出生: 1864年[1]
職業: 政治家
概要 張広建, プロフィール ...
張広建
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1864年[1]
死去: 1938年民国27年)
中華民国の旗 中華民国安徽省
出身地: 清の旗 安徽省廬州府合肥県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 張廣建
簡体字 张广建
拼音 Zhāng Guǎngjiàn
ラテン字 Chang Kuang-chien
和名表記: ちょう こうけん
発音転記: ヂャン グアンジェン
テンプレートを表示
閉じる

事績

清末に候補知県となり、1911年宣統3年)の辛亥革命の際には、山東布政使兼管漕運事宜に任命され、後に山東巡撫提督となった。1912年民国元年)3月、山東都督に就任した。同年12月、京兆府尹に異動する。1914年(民国3年)3月、甘粛都督兼民政長に就任し、以後6年に渡り甘粛省を統治することになった。

1915年(民国4年)に袁世凱が皇帝に即位すると、張広建は一等子爵に封じられた。翌1916年(民国5年)6月の袁死後、張は安徽派に属した。1920年(民国9年)の安直戦争で安徽派が敗北すると、張も下野している。以後は天津の租界に隠棲した。日中戦争(抗日戦争)期には故郷の合肥に在ったが、親日政権への参加を日本側から求められて拒絶したため、迫害を受ける。その後、逃亡を図ったが、途中で病没した。享年75。

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI