張格

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張 格(ちょう かく、生年不詳 - 927年)は、末から五代十国時代にかけての官僚政治家は承之[1]本貫瀛州河間県

経歴

張濬の子として生まれた。張濬は朱全忠に憎まれ、ひそかに人を派遣されて長水県で殺害された。張格は姓名を変え、流浪して剣南に入った。天復7年(907年)、王建前蜀の皇帝を称すると、張格は宰相となった。張格の生母は張濬が殺害されたときに、民間に潜み隠れ、落髪して尼となり、函谷関洛陽のあいだを流浪していた。王建はこれを聞いて、人を派遣して彼女を迎え蜀に入らせ、慈福大師の号を加えさせた[1]

光天元年(918年)、王建が死去すると、張格は山陵使とされたが、難色を示した。ほどなく罪を得て不忠非孝を責められ、茂州刺史として出された。王衍が帝位を嗣いだ数年の後、張格は再び宰相として任用された[1]

同光3年(925年)、後唐が前蜀を平定すると、張格は洛陽に入った[1]天成元年(926年)、太子賓客に任じられた[2]任圜にその才能を愛され、推薦されて三司副使となった[1]。天成2年(927年)5月8日、在官のまま死去した[3]

脚注

伝記資料

参考文献

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