張温 (五代)

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張 温(ちょう おん、生年不詳 - 935年)は、五代十国時代軍人は徳潤。本貫魏州魏県[1]

経歴

はじめ朱全忠に仕えて歩直小将となり、崇明都校に転じた。貞明元年(915年)、蔣殷徐州で叛くと、張温は劉鄩に従って蔣殷を討ち、左右捉生都指揮使に転じた[1]。貞明2年(916年)、晋王李存勗邢州を攻撃すると、張温は兵500人で援軍に赴き、晋軍に捕らえられて[2]、永清都校として任用された。武州刺史・山後八軍都将を歴任した。李存勗に従って契丹幽州で襲撃し、新州を奪回した。銀槍効節軍指揮使となり、再び武州刺史に任じられた。同光元年(923年)、契丹が嬀州儒州檀州順州平州薊州を陥落させたが、張温は武州を守り抜いた。蔚州刺史に転じた。天成元年(926年)、振武軍節度留後・昭武軍節度留後を歴任した。ほどなく昭武軍節度使に任じられた。入朝して右衛上将軍となった[3]。天成3年(928年)、雲州節度使に転じた[4]。天成4年(929年)、武定軍節度使に転じた[5]長興2年(931年)、右龍武軍統軍に任じられた[6]。長興4年(933年)、再び雲州節度使となった[7]清泰元年(934年)、代州に兵を駐屯させ、契丹を撃退した[8]。清泰2年(935年)、建雄軍節度使に転じた[9]。10月9日[10]、病没した。太尉の位を追贈された[8]

脚注

伝記資料

参考文献

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