強循
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官に仕えて雍州司士参軍に累進した。ときに華原県に泉がなく、民衆や家畜の多くが渇き死んだ。強循は人々を指導して水を引いて畑を灌漑し、水利につとめ、その水路は強公渠と呼ばれた。強循は大理寺少卿や太子右庶子を歴任した。その事務は迅速であったが、威厳がなく、人を信じて疑わなかった。当時の人はかれの文飾が少ないことを恨んだ[1]。先天2年(713年)9月、強循は豳州刺史に任じられ、塩池使をつとめた[3]。開元元年(同年)11月、戸部侍郎となり、御史中丞を兼ねた。姜師度や諸道の按察使とともに天下の塩鉄の賦課を調査することとされたが[4]、反対意見が多く実施されなかった[5][1]。官は大理寺卿に上った[2]。