後藤七郎

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後藤 七郎(ごとう しちろう、1881年明治14年)9月7日[1][2][3][4] - 1962年昭和37年)12月7日[1][2][4])は、大正から昭和時代の日本外科学者大日本帝国陸軍軍医。最終階級は陸軍軍医少将。位階勲等は正三位勲一等十二指腸潰瘍の権威で、日本初の輸血を行った人物として知られる[1][2]

後藤貞治の三男として福岡県山門郡柳河村(現柳川市)にて生まれる[2][5]1907年(明治40年)12月、京都帝国大学福岡医科大学(現・九州大学医学部)卒業[2][3][5]。翌年6月、陸軍二等軍医・歩兵第1連隊附となる[2][3]1909年(明治42年)京都帝国大学福岡医科大学大学院、1911年(明治44年)九州帝国大学医科大学大学院を経て、同年、同大講師となる[2][3]1914年(大正3年)医学博士[2][3][5]

翌年、医学研究のためイギリスおよびフランスに留学し、さらに翌年の1916年(大正5年)フランスにて開催された連合衛生委員会に出席する[5]。同年、陸軍三等軍医正に進み、翌年の1917年(大正6年)12月、陸軍軍医学校教官に補任される[1][2][3][5]1919年(大正8年)11月、九州帝国大学教授・外科学第二講座担任に転じ、翌月より陸軍二等軍医正を併任する[1][2][3][5]

1927年(昭和2年)8月に九州帝国大学医学部附属医院長を経て、翌年、九州帝国大学医学部長・陸軍軍医監を併任する[1][2][3][5]。さらに翌年の1929年(昭和4年)の9月から10月の1か月間、九州帝国大学総長事務取扱を務める[3][6]1942年(昭和17年)退官し、同大名誉教授[2][3]。陸軍に復帰し、同年陸軍軍医少将に進級する[1][2]

ほか、九州帝国大学評議員、日本外科学会会長、同名誉会長などを歴任した[1][3]1919年(大正8年)日本初の輸血膿胸患者に行い成功させた[1][2]

著作

単著
  • 『実験治療社医学講筵刊. 第13輯(胃癌, 胃潰瘍及び胃潰瘍癌に就て)』実験治療社、1941年。

栄典

脚注

参考文献

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