徐栄
From Wikipedia, the free encyclopedia
事跡
董卓に仕えて中郎将となった。冀州刺史を追われた友人の公孫度を遼東太守に推挙して、後に公孫度が自立するきっかけを作っている[1]。
初平元年(190年)に袁紹らの反董卓諸侯が挙兵すると、徐栄は李蒙と共に董卓の命で豫州へ出撃した。徐栄は滎陽県汴水で曹操・鮑信軍と遭遇したため、これを撃破し衛茲・鮑韜(鮑信の弟)を討ち取った。ただ、曹操軍が懸命に抗戦したのを見ると、徐栄は容易に滅ぼせないと見て、最終的な決着はつけずに軍を返している[2][3]。また初平2年(191年)、梁県で反董卓側の孫堅軍と遭遇するとこれを撃ち破り、潁川太守の李旻と張安を生け捕って、これを煮殺した[3]。
初平3年(192年)、董卓が王允に謀殺されると、徐栄はそのまま王允に従った。その後、長安に攻め上ってきた李傕・郭汜の軍を胡軫・楊定らと新豊で迎撃するが、胡軫・楊定の裏切りもあり敗れて戦死した[3]。