徳地町
日本の山口県佐波郡にあった町
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地理
歴史
太古には朝廷の直轄地で徳地県(あがた)が置かれ、伝説では出雲国種族が移民し開発した一帯で景行天皇の熊襲征伐の際には手助けをしたという[2]。古くから良質の木材の産地として知られ、鎌倉時代には、1180年に焼失した華厳宗大本山である東大寺(奈良県奈良市)の復興に使う木材をここから切り出したと言われているとのこと。※部材をどこの部分に使われたかは不明である。
森林地帯であることから当時この一帯には生業がなく、東大寺の木材調達のために訪れた重源が村人の貧困を憐れみ紙や茶の製造を教えたと伝えられている[3]。以降、紙製造は地域の産業となり、毛利藩政時代には藩の事業として大いに発展、徳地紙は名産品として全国に知れ渡った。紙の買い付けに北前船の商人たちが訪れ、街は賑わったが[4]、明治に入り藩の後ろ盾がなくなるとともに衰退していった[5]。
昭和初期には出雲村、八坂村、柚野村を下徳地、島地村、和田村、串村を上徳地と呼んでいた[3]。昭和、平成と合併を繰り返し、山口市に編入された。旧徳地町地域は、過疎化が進み、限界集落となっている[1]。
沿革
歴代町長
- 井上平司(いのうえへいじ)
- 伊藤青波 (いとうしょうは)※現山口市議会議員
産業
交通
鉄道路線
バス路線
道路
高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道
主要施設
- 山口県立佐波高等学校
- 長者ヶ原国立青少年自然の家