徳大寺公全

江戸時代中期の公卿 From Wikipedia, the free encyclopedia

徳大寺 公全(とくだいじ きんとも、延宝6年7月10日1678年8月26日〉 - 享保4年12月2日1720年1月11日〉)は、江戸時代中期の公卿権大納言醍醐冬基の子。官位正二位内大臣徳大寺家22(20)代。

時代 江戸時代中期
別名 徳大寺前内大臣
概要 凡例徳大寺 公全, 時代 ...
 
徳大寺 公全
時代 江戸時代中期
生誕 延宝6年7月10日1678年8月26日
死没 享保4年12月2日1720年1月11日
別名 徳大寺前内大臣
諡号 天性院
墓所 十念寺
官位 正二位内大臣
主君 東山天皇中御門天皇
氏族 醍醐家徳大寺家
父母 父:醍醐冬基、母:家女房
養父:徳大寺実維、養母:藪嗣孝の娘
兄弟 醍醐冬熙徳大寺公全、綱姫(津軽信興正室)
正室:徳君(近衛家熙の娘)
継室:八百姫(宗義真の娘)
実憲阿部正直
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経歴

醍醐冬基の子として誕生し、徳大寺実維の養子となる。

天和2年(1682年)に叙爵して以降清華家当主として速い速度で昇進し、侍従左近衛少将左近衛中将などを歴任し、元禄5年(1692年)に従三位となり公卿に列する。権中納言踏歌節会外弁を経て元禄12年(1699年)に権大納言に就任。元禄13年(1700年)から宝永元年(1704年)にかけては神宮伝奏をつとめ、正徳2年(1712年)から享保4年(1719年)にかけては武家伝奏をつとめた。享保4年(1719年)11月30日に内大臣に任じられたが、同日に辞任した。吐血するなど容体は悪化し、ついには食事も摂れなくなり12月2日に薨去[1][2]。享年42。12月8日、十念寺に葬られた[2]

官歴

公卿補任』による

系譜

  • 生母不詳の子女
    • 女子:南都法華寺真静室(?-1731)

脚注

参考文献

関連項目

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