徳大寺斉定 From Wikipedia, the free encyclopedia 続柄 徳大寺実厚第2男子 東山天皇の男系10世子孫出生 1921年10月死去 1946年3月配偶者 美智子女王徳大寺 斉定徳大寺家続柄 徳大寺実厚第2男子 東山天皇の男系10世子孫出生 1921年10月死去 1946年3月配偶者 美智子女王父親 徳大寺実厚母親 徳大寺米子[注釈 1]テンプレートを表示 徳大寺 斉定(とくだいじ なりさだ、1921年〈大正10年〉7月[1] - 1946年〈昭和21年〉3月[1])は、日本の華族、賀陽宮恒憲王第1王女である賀陽美智子の夫。公家としての家格は清華家。徳大寺実厚の次男であり、兄に徳大寺公英、弟に徳大寺純明がいる。 1943年(昭和18年)12月9日、平安神宮宮司で貴族院議員の徳大寺実厚公爵の次男・徳大寺斉定陸軍中尉と美智子女王との結婚が勅許。29日に美智子女王と結婚するが、1945年(昭和20年)9月、離婚した[1]。 二人の間に子供は生まれなかった。その後、斉定は1946年3月に戦病死した[1]。 系譜 東山天皇の男系十世子孫である。東山天皇の孫(閑院宮直仁親王の子)で鷹司家を継いだ鷹司輔平の男系後裔。 詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 松平直之伯爵の娘 出典 1 2 3 4 『平成新修旧華族家系大成』下巻、175頁。 参考文献 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles