徳川熙
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1916年(大正5年)2月15日、男爵・徳川誠の長男として生まれた。学習院中等科を経て、1938年(昭和13年)に海軍兵学校65期を、187人中186番の席次で卒業。同期生には、九軍神の一人岩佐直治、戦後海将となる石隈辰彦らがいる。太平洋戦争中期の1943年(昭和18年)7月12日、潜水艦呂101先任将校(水雷長)として戦死した。27歳没。
- 戦死状況[2]
煕はクラ湾夜戦が行われた直後、のちに「潜水艦の神様」[3]と異名をとった艦長・折田善次指揮のもとクラ湾のアメリカ軍上陸地点に潜入した。夜間、充電のため浮上し煕は見張員2名とともに艦橋にあったが、アメリカ軍駆逐艦テイラー(USS Taylor, DD-468)のレーダー射撃を受け煕は被弾した。煕は急速潜航を指示し、同艦は無事であったが、艦内に収容された煕は既に戦死していた(見張員2名も戦死)。煕の遺骸は折田らによってラバウルで荼毘に付された。墓所は谷中霊園。