志戸田用水隧道
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沿革
- 1736年(享保21年)仙台藩志戸田村(現:富谷市志戸田)など[4]の肝入だった、千坂半左衛門の主導で吉田川の綱木堰から[5]志戸田村や舞野村の水田の水不足解消の為に千坂家個人の私財を投入し、用水堀の掘削に着手した。地盤の弱い個所の水路は度々の吉田川の氾濫で、堀自体が土砂で埋まったり、川自体の浸食作用で削られるなどして使用に耐えなくなる為に、全工程、約2750mのところ、3箇所に於いては、隧道を掘って、川の氾濫時にも耐えうる構造とせざるをえなかった。工事は困難を極め、千坂半左衛門の子、孫が工事を引き継いだ。
- 1786年(天明6年)頃 およそ50年の歳月をかけ完成し、通水が開始された。
- 1987年(昭和63年) 新しいコンクリート製の新用水路に置き換えられ、当時の用水路は使用を終え埋め立てられ、トンネル(隧道)は閉鎖された。閉鎖後は一部を地元、富谷市が管理している[6]。
参考文献
- 浅野昭一『水利を開いた千坂一族』 創栄出版、2007年5月 ISBN 978-4-7559-0282-6 C-0044