忘れられた日本人

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忘れられた日本人』(わすれられたにほんじん)は、宮本常一の著作で、1960年7月に未來社で初刊。宮本の代表作と見なされている。

収録された文章は、1958年10月に創刊された未來社の月刊誌『民話』に「年よりたち」という題で1958年12月から1960年6月まで隔月で10回連載されたものが大部分を占める。

宮本の回想記『民俗学の旅』(文藝春秋、1978年)によれば、1950年代に宮本は「項目や語彙を中心にして民俗を採集するというような」民俗学のありかたに疑問を感じていた。「それよりも一人一人の人の体験を聞き、そしてその人の生活を支えたものは何であっただろうか」という点を重視する、宮本なりの回答がこの『忘れられた日本人』だった。

  • 1960年7月、未來社
  • 1971年4月、『宮本常一著作集』第10巻「忘れられた日本人」未來社、ISBN 978-4624924102
  • 1984年5月、岩波文庫網野善彦解説)、ISBN 978-4003316412
  • 1995年2月、ワイド版岩波文庫、ISBN 978-4000071604

取材時期

  • 取材時期が最も古いのは、1927年に逝去した「私の祖父」である。取材舞台は宮本の故郷である山口県周防大島
  • 1930年に逝去した外祖父を描く「世間師 (1)」がそれに次ぐ。
  • 宮本は大阪在住時代の1936年に、河内で「世間師 (2)」を取材。
  • 1939年に宮本は小学校教師をやめて渋沢敬三のアチック・ミューゼアム(のち日本常民文化研究所)研究員になった。以後10年余、旅の生活を続け、この時期に多くを取材した。
  • 本書で最も後年の取材は、1956年の「名倉談義」である。

初出雑誌『民話』

発表の場となったこの雑誌について、宮本没後に調査取材した木村哲也が、吉沢和夫の証言を紹介している[1]

『民話』の6人の編集委員は木下さんが選びました。別分野の人ということで、劇作家の木下順二、民俗学の宮本常一、国文学の益田勝実、文芸教育の西郷竹彦、中国文学の竹内実、民話研究のわたし。(中略)

『河内国滝畑左近熊太翁旧事談』というあれ。(中略)あれはよかった、というと、宮本さん、よろこんでくれました。あんな話ならたくさんある、でも民俗学の雑誌には発表できない。いくらでもある、と言ってさしあたり十回書いてもらったのが、『年よりたち』の連載です。

内容

関連文献

脚注

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