竹内実
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- 出生から修学期
1923年(大正12年)、中国山東省(現在の淄博市張店区)に生まれた[2]。日本へ帰国後、二松學舍専門学校(現二松學舍大学)に進学した。在学中に学徒出陣のため応召するが、敗戦直前に病気除隊となった。
太平洋戦争後、京都大学文学部中国語学文学科で学び、1949年に卒業[2]。東京大学大学院に進み、修士課程を修了。
- 中国学研究者として
修了後は、社団法人中国研究所へ勤務[2]。その後、旧東京都立大学助教授となった[2]。1973年、京都大学人文科学研究所教授となった[2]。1987年に京都大学を定年退官し[2]、名誉教授となった。その後は、同年4月より立命館大学国際関係学部教授[2]。その後、松阪大学教授。海外では、北京日本学研究センター教授、杭州大学日本文化研究所研究員を務めた[3]。学界では、1987年から1994年まで現代中国研究会会長を務めた。
受賞・栄典
研究内容・業績
世界に先駆けて毛沢東の原典集『毛沢東集』を編纂し、中国を含む各国の研究者に研究の基礎を提供した[1]。1960年には野間宏、大江健三郎らと共に中華人民共和国を訪問し、毛沢東と会見した[2][6]。武田泰淳とともに『毛沢東 その詩と人生』を刊行し、毛沢東の人間像を論じて話題となった[2]。しかしながら文化大革命中は文革や当時の中国共産党に批判的な姿勢を貫き、文革終結後にその姿勢が高く評価された。
発言
- 鄧小平来日(1978年)
1978年、鄧小平副首相が来日した際、ロッキード事件の渦中にいた田中角栄の私邸を訪問したことについて、朝日新聞の取材に応じ「個人の信義を重んじるのは中国の美しい伝統ではあるが、日本の大衆の気持ちも理解してもらわないと。」とコメントしている[7]。