恭阿拉

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恭阿拉満洲語: ᡤᡡᠩᡤᠠᠯᠠメレンドルフ式転写: gūnggala乾隆18年(1753年) - 嘉慶17年(1812年))は清代の政治家。元の名は恭照[1]満洲鑲黃旗所属。工部尚書を歴任。

乾隆36年(1771年)、佐領を襲封した。

嘉慶2年(1797年)、その娘の鈕祜禄氏皇貴妃に封じられ、のちに嘉慶帝の第二皇后となった。

嘉慶4年(1799年)、一等承恩侯に封じられた。

嘉慶9年(1804年)、礼部尚書に任ぜられ、あわせて太常寺・鴻臚寺・楽部の事務を兼管した。同年12月、病気のため辞職を願い出たが、皇帝の命により御医が派遣されて診察し、さらにたびたび乾清門の侍衛が見舞いに遣わされた。

同月10日、特別の恩典により三等承恩公へ昇封され、「福」の字などの賜物を与えられた。皇帝はたびたび容体を気遣って使者を遣わしたが、ついに回復することはなかった[1]

嘉慶15年(1810年)9月壬戌、馬慧裕の後任として工部尚書に任じられ、その後兵部尚書に転任した。後任はジルン(吉綸)であった。

嘉慶17年(1812年)に死去した。死後、太子太保を追贈され、「勤愨」の諡号を与えられた[1]

家族

出典

参考文献

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