恭阿拉
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嘉慶2年(1797年)、その娘の鈕祜禄氏が皇貴妃に封じられ、のちに嘉慶帝の第二皇后となった。
嘉慶4年(1799年)、一等承恩侯に封じられた。
嘉慶9年(1804年)、礼部尚書に任ぜられ、あわせて太常寺・鴻臚寺・楽部の事務を兼管した。同年12月、病気のため辞職を願い出たが、皇帝の命により御医が派遣されて診察し、さらにたびたび乾清門の侍衛が見舞いに遣わされた。
同月10日、特別の恩典により三等承恩公へ昇封され、「福」の字などの賜物を与えられた。皇帝はたびたび容体を気遣って使者を遣わしたが、ついに回復することはなかった[1]。
嘉慶15年(1810年)9月壬戌、馬慧裕の後任として工部尚書に任じられ、その後兵部尚書に転任した。後任はジルン(吉綸)であった。