寛元元年(1243年)は舜天王統・舜馬順煕の治世に当たる。
同記によれば、慶政一行は渡宋の折、台風により「琉球国」のある島に漂着したと言う。上陸して最初に発見した仮屋の中に人骨が放置されているのを見て一行は驚愕した。これは風葬の様子と見られ[1]、当時そのような風習が琉球にある事が知られており[2]、それを以て一行は琉球に漂着した事を知ったと言う[3]。ただし、具体的にどの島かは不明である。
更に一行は島の村人と出会い、米を渡し紫苔[4]や芋と物々交換した[3]。また、武装した琉球人たちが船に乗り弓を射かけて来た。赤い衣服や頭巾を身に着け、弓や鉾、盾などで武装していたと言う[5]。
挿絵があり、原文と共に宮内庁ウェブサイトから参照できる。