我が心は石にあらず
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 我が心は石にあらず | |
|---|---|
| 作者 | 高橋和巳 |
| 国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| ジャンル | 長編小説 |
| 発表形態 | 雑誌連載 |
| 初出情報 | |
| 初出 | 『自由』1964年12月号 - 1966年5月号 |
| 出版元 | 自由社 |
| 刊本情報 | |
| 出版元 | 新潮社 |
| 出版年月日 | 1967年10月20日 |
| 装幀 | 岡本半三 |
| 総ページ数 | 363 |
『我が心は石にあらず』(わがこころはいしにあらず)は、高橋和巳の長編小説。先行して1964年(昭和39年)12月1日、保坂安雄の演出による短編ラジオドラマがNHKラジオより放送されてのち[1]、同12月から1966年(昭和41年)5月にかけて『自由』に連載された[1][2]。単行本は1967年(昭和42年)10月、新潮社より刊行された[1][2]。文庫版は当初は新潮文庫、のちに河出文庫より刊行されている。
精密機械会社の技師で労働組合の指導者でもある男が、一人の女性と不倫関係になることで内面の矛盾を露呈させ、その矛盾を抱えたまま、身を投じた労働運動に敗北してゆく姿を通して[3]、矛盾を抱えた知識人の、自己破滅とエゴイズムを描く[4]。高橋作品の中でも特に多くの読者に読まれた作品である一方、様々な問題点が指摘され、失敗作とも評される[5][6][3]。
冒頭に「我が心は石にあらねば、転ばすべからざるなり。我が心は席にあらねば、巻くべからざるなり」(詩経)というエピグラフが掲げられている[7][注 1]。
地方都市の精密機械会社「宮崎精密機械工業」の研究所に、技師として務めている信藤誠は、この都市の労働組合を取りまとめる「地域労働組合連絡協議会」の委員長でもある[9][10]。信藤は、貧しい石灰岩採掘夫の父を持ち[11]、学資には恵まれなかったが、努力の末に町の商工会議所から奨学金を貸与されて東京の高等学校に学び、学徒出陣を経て2年遅れで卒業してのちは、奨学金の返済を免除される条件に従い、故郷の宮崎精機に技師として就職した[9]。
信藤は、自身と同様に奨学金で大学を卒業し、地元の「日新紡績」に務めている久米洋子と、組合活動を通して親密になり、肉体関係を持つに至る[12][10]。妻子のある信藤はこの不倫関係を隠し通そうとするが、やがて洋子は妊娠する[10]。妊娠した洋子が情緒不安定になり、自立した人格から、男性への従属によって愛を確認しようとする平凡な女に変わってゆくと、信藤の愛情は冷めた[12]。
さらに、妊娠を告げられたとき信藤は、突如として戦時中に抱いていた破滅への意志、〈魔の情熱〉を蘇らせ[13]、親友であり宮崎精機の副社長でもある、宮崎久志から要請されていた幹部への昇進も拒絶して[14]、折しも地域連絡協議会で問題となっていた地方議会への独自候補擁立について、3名の独自候補を擁立するという案を強引に押し通し、「一切の既成政党を信ずるな。諸君にもし自立の志向があるのなら、私に従え」と怒号した[15]。
しかし資本家側はこの事態を受けて、一斉に経営合理化と人員削減に乗り出し、宮崎精機をはじめ、町の各企業は、帰休制や配置転換を断行しようとし始めた。地域連絡協議会は、これに対抗して闘争の開始を余儀なくされ、事態は町を巻き込む大規模な争議に発展していった。やがて地域連絡協議会は分裂し、妥協の方策を探る非主流派は第二組合を結成して、独自に資本家側との交渉を始めた。その結果、支給交渉の日程も確認できない信藤ら主流派に対し、非主流派には賞与が支給される目途が立つ、という事態となった[16]。
結局、地域連絡協議会が中央労働委員会に調停を依頼する事態に追い詰められるという形で、闘争は信藤らの敗北に終わった。信藤は委員長を辞任し、さらに社長へ辞職届を郵送する[17]。そして妻や妹、2人の子供とともに温泉宿へ逃避し、恐らくもう二度と、政治運動に自分は関わることはなく、地味な研究者か技師としての、平穏な生活をいつかは取り戻すことができるだろう、と述懐するのだった[18]。
登場人物
- 信藤 誠 - 主人公[5]。宮崎精密機械工業の研究所に務める技師であり、同社を含む周辺地域の労働組合を取りまとめる「地域労働組合連絡協議会」の委員長でもある[10]。元特攻隊員の生き残り[19]。奨学生エリートによる「銅の会」の会員[20]。
- 久米 洋子 - 日新紡績の企業内講習所の教員[10]。信藤と同じ奨学生で「銅の会」の紅一点[20][10]。組合活動にも積極的に携わっている[10]。
- 信藤 藤乃 - 信藤の妻。病弱で、日常生活もままならない状態にある[21]。
- 信藤 千世 - 信藤と同居している妹。藤乃に代わり、信藤の代理妻、子供の代理母のような役割を担っている[22]。
- 宮崎 久志 - 宮崎精密機械工業の社長の息子で、のちに社長となる。信藤とは学生時代からの旧友[9]。
- 浅沼 士朗 - 工員の活動家。日本共産党員。強い向学心を持ち、信藤から無償の個人教授を受けている[23]。
執筆・発表経過
ラジオドラマ
| 我が心は石にあらず | |
|---|---|
| ジャンル | ラジオドラマ |
| 放送期間 | 1964年12月1日 |
| 放送回数 | 1 |
| 放送局 | 日本放送協会(NHKラジオ) |
小説の連載に先立って、1964年(昭和39年)12月1日、保坂安雄の演出による短編ラジオドラマ『我が心は石にあらず』がNHKラジオより放送された[1][2]。本ドラマは、小説版の原型として構想されたものとみられる[1]。
あらすじとしては、精密機械工業会社の技術者で労働組合の委員長でもある信藤は、会社側の発表した大幅な人員整理を含めた合理化に対し、組合として反対の意向を提出する。これは、女子部部員の久米や工員部の浅沼たちが主張する急進的なストライキ闘争案に反対できなかったためで、合理化闘争を率いる自信はなく、辞任を考えている。また、旧友である副社長からは、妹の千世との結婚を申し込まれてもいた。しかし組合内部から、妹と副社長の結婚は出世のための政略結婚だとの中傷が起こり、信藤は妹を守るために旅行へ行かせる[1]。
その後、組合と会社との直談判が決裂する中、信藤は久米から愛を打ち明けられ、自身も彼女への思慕を明かすが、愛は拒もうとする。そこへ、千世が旅先で自殺したとの報が入る。衝撃を受けて内的に瓦解した信藤は、突如として指令を発し、充分な準備もないままに組合をストライキに突入させる。しかし結果は内部崩壊と敗北に終わり、信藤は退職する。その後も信藤は久米との逢瀬を重ねるが、抱き合いながら二人の愛もまた終わった、ということを自覚する、というものである[1]。
藤村耕治は、「ドラマ版は単発ものである故に展開が急で、唐突に見える部分もなくはないが、構成はしっかりしており、テーマも明瞭である」[1]「もとより傑作と呼ぶには当たらない平凡で通俗的なドラマである。しかし、先行作品として小説版と比べてみるとき、不可解な点や無理な部分が格段に少ない。こちらの方が明らかに物語としての骨格の確かさを持ち得ていると言わねばならないのである」と評している[8]。
連載・刊行
小説『我が心は石にあらず』は、1964年(昭和39年)12月から1965年(昭和40年)5月に渡って、『自由』に連載された。1965年1月・8月・11月号は休載で、回数は計15回である。なお、連載時には章立ては行われておらず、単行本刊行時に行われたが、最終章の第十四章のみ、連載の第14回・15回の2回分が当てられたため、掲載回数よりも1回分少ない全14章となっている[2]。
単行本は1967年(昭和42年)10月20日、新潮社より刊行された[2]。長編小説としては、同時並行して執筆が進められていた『憂鬱なる党派』に続く、4作目の作品であった[5]。高橋は単行本の帯文で、以下のように述べているが、山田博光はこの帯文について、「しかし、高橋氏はこの「生涯の主題」を発展させることなく、夭折してしまった」と述べている[24]。
私たちの心の支えは、つねに愛と理想なのだが、それは多く不幸な状況の中で芽生え燃焼し、しかもともすれば崩れるのはなぜだろうか。
密室の愛情ではなく、ともに社会的職務を担った男女の愛情とその破綻をとおして、私は現代に生きるものの精神のあり方を考えてみようとした。冷く硬直せず、しかも時の推移につれて移り変ることのない心とは、どういうものか。『我が心は石にあらず』で追求したこの主題は、おそらく私の生涯の主題ともなるであろう。
— 高橋和巳『心の真実を求めて』[25]
本作は、1971年(昭和46年)には新潮文庫にも加えられ、高橋作品の中でも、特に多くの読者に読まれた作品であるとされる[6][3]。一方で後述の通り、作中で描かれた「知識人」像は、当時の読者からしても既に時代遅れで、読者の感覚と乖離した違和感のあるものになりつつあった、ともされる[3]。
評価・分析
設定の問題点
本作の問題点として脇坂充は、作品の現在時点が明瞭でないことを挙げている。脇坂は、安保闘争が過去形で語られること、新産業都市の指定が最近のこととして語られることから、時代は1960年代半ば頃と推定され、信藤の卒業年次と「銅の会」の第一期生であること、現在は第十九期生までいることなどは明かされているが、何期生という呼称が大学進学時のものか卒業年次のものかが不明であるため、作中の現在を特定することはできない、としている[26]。また信藤の年齢についても、1949年(昭和24年)に、軍歴のため2年遅れで大学を卒業したとされているが、学徒動員や学制改革による混乱のため、40歳辺りとしかわからない、としている[26]。
さらに久米洋子の設定については、明瞭な矛盾点が存在し、第一章では9年前に大学を卒業したとされていることから、31歳ほどと推定されるものの、第六章では27歳の奨学生より2期上、つまり29歳とされており、9年前に大学を卒業したにも拘わらず29歳であるという、有り得ない設定になっている、としている[27]。
この年齢の矛盾点については各研究者から指摘がなされているが、その中で藤村耕治は、ドラマ版では信藤の年齢は36歳、久米洋子は27歳とされており、9歳の年齢差という設定を無意識に転用したのであろう、と考察している。また、洋子が奨学生に選ばれたのを9年前とするつもりで、ミスを犯したのではないか、ともしている[28]。
そのほか、「地域労働組合連絡協議会」が地方選挙に擁立した3名の候補者は、第十二章で「早川」「金森」「稲山」と明記されているが、第十四章では擁立された議員の一人として「吉住正男」という人物が突如として登場し、信藤らの闘争に反対して裏切るという行動に出ており、この点については『高橋和巳全集』で編集者による訂正が行われた[29][注 2]。
こうした設定の破綻について、脇坂充は「いずれも作品の本質に関係のない部分だともいえるかもしれないが、この程度のつじつまさえ合わせられないようでは話にならない」と述べている[29]。また藤村耕治は、高橋作品に見られるこのような設定のいい加減さは、「作家の文学のありようの本質に根ざしていると考えられる」とし、「高橋文学の人物たちの殆どは、おそらく作家の頭の中に浮かんでいる、茫洋として実体化されない観念的な像としてあるのであって、それがしばしば人物の類型化を生み、人形のように作者の運命観の枠内で自在に操られている印象を与える」とし、「しかし作家にとって真にリアルであるのはある理念・想念を持った実体ならざるものの存在性自体なのであって、乱暴な言い方をすれば、現実的に事件が何年前であろうが、人物が何歳であろうが、作家の中のリアリティは毫も犯されないのである」としている[28]。
信藤について
苦悩する知識人として
山田博光は、理想を抱いて現実とたたかう知識人の物語として読むとき、本作は明治10年代の政治小説や明治30年代の社会主義小説、特に木下尚江『火の柱』、さらに昭和初年代のプロレタリア文学の伝統を受け継ぐ小説であり、また、戦中派の生き残りの物語として読むとき、「この小説は理想の挫折する物語であり、破滅に向かって転落する知識人の物語である」としている[31]。
野間宏は、「危険な破滅への意志」を蘇らせた信藤の「自分の腐った臓腑をつかみだして投げつけるように、一切の矛盾を極限化し、人に目をそむけさせながら、人の志とはいかなるものか、精神とは何かをあかるみに出して破滅してみせよう」「平和に馴れ、無一物でありながら、あたかも巨万の富を抱き得ているかのように錯覚し、何かを守らねばならないかのように錯覚している人間たちの精神を根こそぎ震撼せしめよう」といった言葉には恐ろしいものがあるとし[32]、「それは人生を横に切り、そこに死と破壊とを挿入することなしには生きていることの証明を得ることのない人間の発する言葉であって、人生そのものを示す言葉である。長い表だけの〈平和〉のなかに足をつけて生きているものの知りがたい、到りがたい人生そのものが、ここに引き出されている」と述べている[33]。
そして野間は、高橋が中国文学者であることから、「戦乱の歴史であり、たたかいの歴史であり、したがってそれは人生の側からしていえば、破滅へと向う志向をもった多くの人たちでみたされている人生の歴史」である中国の歴史から、人生を見る方法を身につけているのではないかとし[33]、「最近知識人論或いは知識人についての論義が日本に於て提出され、行なわれてきているが、現代の知識人の層の厚さをかきわけてその層の底辺にまでわけ入り、その原基の形態まで、はっきりおさえたというものは数少い。高橋和巳はこの作品によって、そこまで到りつき、それに血を注入し、肉付けをし、その中心に破滅への意志をおくことによって、それをなしとげたのである」と評している[34]。
渡辺広士は、『悲の器』『堕落』『我が心は石にあらず』の3作に通底しているのは「この安定社会に自己をある低からぬ位置に組み込んでいる知識人には必ず虚偽意識がある」という思想であるとし[35]、前の2作では戦前派知識人が、知識の形を内から否定する女性問題のスキャンダルによって破滅していくが、本作では戦中派知識人が、やはり女性関係のスキャンダルに足をすくわれることになっている、としている[36]。そしてこれらの例から、「高橋作品の作中の知識人においては、いつもその倫理には虚無的な裂け目があき、反対にその欲望には禁欲主義が働いている」とし、「高橋和巳において知識人の倫理とは、それ自身の崩壊において現代知識人の苦悩をあらわすべきものなのである」と考察している[37]。
そこから渡辺は、「崩壊に向かっての筋の進展は、知識人としてのプチブル意識をあばき出す過程とならねばならない」としているが[37]、一方で本作においては、敗北した信藤の「住う場所をかえれば、私に職が全くないとは考えられない。そして地道な研究者、それが無理にしても地味な現場技師としての平穏な生活も、いつかは取戻すことは出来るだろう。一つの争議が失敗したことによって、自らの一身を破滅させるなどという悲壮感は私にはない」という台詞から、知識人である「私」の自己解体が充分なところまでいかなかったことが表れているとし、『悲の器』『憂鬱なる党派』においての、破滅を伴う叫びの悲壮感と対比している[38]。そして、『憂鬱なる党派』のような感傷的な調子を排除しようとしたことは理解できるとしつつ、理性と戦う情念の力というものも、『悲の器』のような見事な表現に達していない、と評している[38]。
主人公の破滅の不徹底については、真継伸彦も指摘しており、「著者の優しさが、作品が本来要求する悲劇性を裏切っていることを指摘したい。この小説は巧みな構成をとりながら、結末部が拙速にすぎるのがいかにも惜しい」とし、久米洋子が妊娠の末、信藤を裏切ってスパイ活動をするというスリリングな展開となるにも拘わらず、信藤はストライキの敗北後、あっさり洋子と別れ、妻子のもとへ戻ってしまうという結末であることについて、「彼は自由意志で悲劇を回避したのだ。私は著者の優しさが、主人公を情人といっしょに、もっと暗澹たる境遇へ突落すにしのびなかったのだと、ふと同情した」と述べている[39]。
伊藤益は、本作で高橋が提起した真の問題は、勉学に励んで得た知識によって社会の低層から這い上がった階層という、戦後の経済発展の中を生きる新たな選良たちが、かつての出身階層にいた頃の自分と今の自分とは、精神的に乖離するという事態に、どう対処するかという問題であったとしている[40]。そしてこの問題提起は、ほぼ何の結論も得られずに失敗しているが、思想的には意味があると評価する一方で[41]、出身階層にいた頃の自己と現在の自己との間に生じる矛盾を隠蔽して恥じることのない精神が存在するという重大なことを、高橋は見落としている、と指摘している[41]。
そして伊藤は、そのように出身階層を切り捨てて恥じない人物も「知識人」とするのであれば、何をもって知識人の苦悩と呼ぶべきなのか、と疑問を呈し、「この点を看過して、「苦悩」を「知識人」一般の内面的属性へと敷衍してしまったために、高橋の表現は、陳腐なまでに現実から遊離してしまった」と述べている[42]。
知識人像への批判
佐木隆三は、信藤の設定に不自然な点が多いと批判している。第一に佐木は「いったい信藤誠は、どのような方法で、地域連絡協議会の会長になったのか」と疑問を呈し、様々な企業を擁するこの都市の労組の人員は、2,200人の宮崎精機、3,000人の日新紡績、その他諸々を合わせて1万近くなるはずで、これらを糾合して「この地方での官僚・資本家連合に対峙する、最大の政治勢力を作りあげた」過程が全く語られていない、と指摘している[43]。また、「どのように労働者大衆をひきつけたのか」も不明であるとし、信藤の回想ではかつてデモを指導して警察に留置されたことや、労働運動を始めてから資本家と取引をしたこともあるということが明かされるが、どのように警察に留置されるほどのデモや、資本家の取引を行えたのかも、全く明かされていない、と述べている[44]。
また佐木は、信藤が十数年に渡って労働組合運動の指導者であり、1万人近い「地域労働組合連絡協議会」の会長でありながら職場を離れたことがないという設定も有り得ないとしている[45]。また、信藤から無償の個人教授を受けていた工員で日共党員の浅沼士朗が、既成革新政党の影響力を排除してきた地域連合と対立し、ストを解除するように組合員に説くようになり、その結果暴力沙汰になるという展開に対しても、あまりに粗雑かつ、知識人である信藤の苦悩要因に、浅沼が安易に利用されており、「苦悩する信藤と、単細胞の浅沼。決して溶け合わぬ知識人と大衆の図式がここに提出され」ている、と批判している[23]。そして「高橋さんの想像の世界に、苦悩する労働者の貌が浮んだことがあるだろうか?」と疑問を呈している[46]。
脇坂充もまた、信藤の人物像を批判している。脇坂は、存在感の薄い妻の藤乃について、信藤がモノローグで「彼女にも平凡な女性なりの心の傷があり、意外にもそれは戦争と結びついていた」と述べているのを引用し、「平凡な女性なりの心の傷」というのはいかにも見下した言い方で、世界の苦悩はインテリゲンチャのみが担っていると言わんばかりのこうした言い方が、高橋作品に通底する欠点であると指摘している[47]。さらに、藤乃は兄2人を戦死で失っているのにも拘わらず「意外にも」などと言うのも、「驚くべき鈍感さといわねばならない」と述べている[47]。
そして脇坂は、信藤は組合活動に関しても、「就職していらい、二、三年間は颯爽たる組合の指導者だった」とされているが、どんな組合であっても就職して2年や3年の者が「颯爽たる組合の指導者」になれるはずはないと指摘し、また、信藤の姿勢は組合活動においてすら指導者になろうとし、また指導者であることに何の疑問も抱いていない、と批判している[48]。そして「愚かな大衆と指導する者としての知識人」という古色蒼然としたイメージによって描かれた本作の知識人像には、全く共感するところを見出せない、と述べている[48]。
藤村耕治は、今日の読者は「社会的構造変革の只中で、時代と自己の内なる怨念との距離を縮めることができず、大真面目に苦悩する知識人=ヒーロー」として描かれている信藤を奇異に感じるであろうとし、「知識人という言葉がある一定のリアリティを持ちえた時代の作品だということを差し引いても、その大仰な〈思想的身振り〉は滑稽に映らざるを得ない」と述べている[49]。そして、あたかも久米洋子との関係によって信藤は崩壊していったかのように語られているが、末尾で「戦いに敗れたのではなく、この平和に勝てなかったのかもしれぬ」と述懐しているように、久米洋子との性交渉は単なるきっかけに過ぎないとし、本作を不可解にしている最大の要因はこの錯覚にある、と指摘している[50]。
そして藤村は、久米洋子に妊娠の事実を告げられたことで、信藤は〈魔の情熱〉を蘇らせて破滅へと突き進むということになっているが、まだ宮崎精機とは全面対立に至っておらず、それほどの外的衝迫はなかったはずであり、「つまり、信藤のこの突然の憤激は、久米洋子に妊娠の事実を告げられ追い詰められた彼が、己の置かれた立場の苦しさや醜悪さを糊塗するために、〈魔の情熱〉という切り札をかざしながら理念上の問題にすりかえてしまう体の欺瞞的な〈思想的身振り〉としか見えないのである」と批判している[51]。そして、信藤のこうしたエゴイズムを徹底的に描けば、知識人の醜悪な人間像を提出することができたはずであるが、あくまでも本作において信藤はヒーローであり、「その結果、信藤誠は〈愛〉におけるエゴイズムも〈情念〉における奥深さも〈理念〉における徹底した追尋もすべて中途半端な、ただ身振りだけが大仰な、いい気な知識人としか見えない人物になってしまっていると言わねばならないのである」と述べている[52]。
伊藤益も上述のように本作を分析する一方、藤村と同様に、本作が発表され始めた1964年(昭和39年)12月の時点で、既に読者層は高橋が想定するような「知識人」ではなくなってきており、「知識の担い手であることによって社会的な地位を保障され、ひいては、社会を指導する立場に立ちうる「知識人」など、高橋を囲繞する現実のなかにはどこにも存在しなかった。そのことを熟知するがゆえに、知的読者層は、この作品のなかに、現実と接点をもたない、いわば一人よがりの深刻と悲壮を見いださざるをえなかったのである」と指摘している[3]。
信藤と洋子との関係
脇坂充は、信藤は久米洋子との関係が深まっても、これまでの生活を一切変えようとせず、その思いは久米洋子へは向かずに、自分の中へ閉じこもり、自分の内部でのみ葛藤しているとし[53]、「久米洋子には何も答えようとせず、自分の内部へ内部へと閉じていく信藤の思考回路を見るとき、私は不毛だな、という感じを拭えない。これでは、仮にそれが不幸な結末になるにせよ、何かを生み出す新しい人間関係とはなるはずがない」「久米洋子に対しては、信藤は何も与えようとせず、自己の生活の何も変えようとしない凡庸な男である。作者が深刻ぶり、感傷的になればなるほど、この構図の滑稽さがよく見えてくるのである」と述べている[54]。
さらに脇坂は、宮崎社長の死去をきっかけとして、信藤は洋子への思いを急速に冷却させつつも、肉体関係は継続させ、次第に洋子の生活の退廃が深刻になっていても、信藤は何も手を差し伸べようとはしないこと[55]、結局、洋子との関係は信藤の一方的な終息宣言で終わり、洋子が何を考えているかは殆ど考慮されないという「実に奇妙」な結末になっているとし、本作は多くの読者に読まれた作品でありながらも、「私は失敗作と評価せざるをえないのである」と評している[56]。
藤村耕治は、信藤が属する「地域連絡協議会」が、血縁と地縁によって堅固に結びつけられた組織であり、信藤は正しい普遍的な理念によって築かれる共同体を築こうとしつつも、この「日本的なる」組織に敗北した、と指摘した上で、ここから信藤が久米洋子に求めていたものが、単なる「愛」ではなかったことが見えてくるとし、「彼女もまた、不運ゆえに故郷に縛りつけられる苦しみを持つ存在であったことを思い起こせば、いかに独り善がりな夢想であったにせよ、彼が久米洋子に〈共苦者〉を求めようとしたのは、この共同体構想と地下茎でつながる、ある普遍的な関係性への希求のゆえに他なるまい」と分析している[57]。
橋本安央は、高橋作品の他の例に漏れず、本作においても妻の描かれ方が粗雑で、また『悲の器』の米山みきや『堕落』の時実正子と同様、本作の久米洋子も、男の不倫相手となると不思議に堕落した存在と化してしまい、「信藤と関係をもったのち、たんなる肉の塊へと堕ちてゆく」存在となっている、と指摘している[21]。
千世について
橋本安央は、本作において特筆すべき存在は妹の千世であるとし、「ある種特権化された、美化された、あるいは全幅の信頼をよせるに足る存在として、物語の背景にあらわれる」と指摘している[21]。そして病弱な信藤の妻に代わり、千世が信藤の代理妻、子供の代理母のような役割を担っていることや、組合活動の中で出回った怪文書で「たいして美人でもない妹」という一節に対して過剰に憤激した信藤が、「おかしなことを言うようだが、私にとっては妹の千世こそが、かけがえのない〈美〉だったからである」と述べていることから、信藤が妹に対して抱く抜き差しならぬ思いが露呈している、と分析している[58]。
その上で橋本は、信藤が学徒出陣の直前に千世と接吻していることも挙げ、千世が信藤の代理妻であるとすれば、そこに擬似的近親相姦の様相が立ち上がってくるとし、それを回避するために信藤は妹に「母」の影を背負わせている、としている[59]。また、気の弱かった父親の影をも千世に重ね合わせている場面があることから、千世は「母」「父」という両性具有性を付与されており、女としての性的存在であることを免れている、と分析している[60]。そして、これが小説の後半近くで、久米洋子から甘えを拒絶された信藤が、不意に千世に洋子との不倫関係を打ち明けるという、母からの赦しを得るための行為に至り、一方で千世自身の結婚問題はないがしろにされるという形で、性を抑圧されている、と述べている[61]。
また藤村耕治も、信藤は久米洋子と関係を結びつつも、家庭を守り通したいと述べているが、守りたいと考えているのは病んだ妻や、大して愛情を注いでもいない子供たちではなく、自身が望む「安らぎ」を与えてくれる、「聖なる母のイメージ」を託された千世であろう、と指摘している。そして、「肉体的快楽をともにすることは決してなく、無条件で精神の〈共苦者〉となってくれる人など、男にとって〈聖なる母〉以外にはありえない。信藤が久米洋子のことを、千世にだけ告白するのも、彼女が信藤にとって〈母〉であり、秘密を打ち明けることで同じ苦しみを共にしてほしいという無意識の願望があったからだと読めないだろうか」と考察している[62]。