戴徳 From Wikipedia, the free encyclopedia 戴 徳(戴 德、たい とく、生没年不詳)は、中国前漢の儒学者。字は延君[1][2]。梁(現在の河南省商丘市)の人[1]。『大戴礼記』の著者としてその名が知られる。戴仁の弟で、戴聖は甥に当たる[2]。 宣帝から元帝の時代に掛けて(紀元前74年〜紀元前33年)の人。 甥の戴聖と共に、「礼」を后蒼に学び、戴聖を「小戴」と称するのに対して、自らは「大戴」と称された[1][2]。 甘露3年(紀元前51年)、戴聖と共に宣帝による「石渠閣会議(中国語版)」に参議し、『春秋』の注釈書である『穀梁伝』と『公羊伝』の正統性を論じた。結果として『穀梁伝』の説が採用され、この決議は後漢の建初4年(79年)に章帝によって開かれた「白虎観会議(中国語版)」(『白虎通義』の由来)にも影響を与えた[3]。 元帝の時代(紀元前43年〜紀元前33年)、周・秦・漢代の諸儒の伝える礼の記録を整理して『大戴礼記』を撰し、後世に於いても重要な儒教経典として位置付けられた[1][2]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 デジタル大辞泉『「戴徳」の意味・読み・例文・類語』コトバンク。https://kotobank.jp/word/%E6%88%B4%E5%BE%B3-557920。2025年11月13日閲覧。 1 2 3 4 精選版 日本国語大辞典『「戴徳」の意味・読み・例文・類語』コトバンク。https://kotobank.jp/word/%E6%88%B4%E5%BE%B3-557920。2025年11月13日閲覧。 ↑ 日原 1983, p. 204. この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 Related Articles