戸井嘉作
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| 戸井嘉作 とい かさく | |
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| 生年月日 | 1862年2月23日 |
| 出生地 |
(現・山梨県甲府市) |
| 没年月日 | 1945年4月27日(83歳没) |
| 前職 | 実業家 |
| 所属政党 |
(立憲同志会→) (憲政会→) 立憲民政党 |
| 宗教 | 曹洞宗 |
| 選挙区 |
(神奈川県郡部選挙区→) 神奈川県第1選挙区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 在任期間 |
1915年3月25日 - 1920年2月26日 1925年 - 1937年3月31日 |
| 在任期間 | 1902年 - ? |
戸井 嘉作[1](とい かさく、1862年2月23日〈文久2年1月25日〉[2] - 1945年〈昭和20年〉4月27日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(立憲民政党)[3]。横浜市会議員。横浜市参事会員[4]。族籍は神奈川県平民[4][5]。
甲斐国山梨郡下鍛冶屋村(のち山梨県西山梨郡山城村下鍛冶屋、現・山梨県甲府市)生まれ[2]。戸井彦五郎の長男[6][7][8]。3歳の時に母りんが亡くなり、専ら祖母ツネに養育される[2]。
7歳より寺子屋に通い、9歳の時に初めて小学校が設けられて入学する[2]。13歳の時に小学校を卒業して甲府の神道局(のち皇典講習所)に19歳まで修業する[2]。20歳の時に神奈川県四等巡査を拝命する[2]。
22歳の時に三浦郡役所準判任御用掛となる[2]。24歳の時に横須賀戸長役場に入る[2]。28歳の時より横須賀で運送業、薪炭業を始める[2]。
横浜商品倉庫会社を創立しその他銀行会社の重役に選任された[7][8]。1902年以来横浜市会議員として24年間横浜市政に尽力した[7]。1915年、衆議院議員に当選した[7]。以来当選7回に及び立憲民政党総務同党神奈川県支部長同党顧問を務めた[7]。