戸沢正庸
From Wikipedia, the free encyclopedia
寛文4年(1664年)5月4日、戸沢家の重臣・楢岡兵右衛門友清の四男として生まれる。貞享3年(1686年)5月19日、第2代藩主・正誠の養嗣子となり、貞享4年(1687年)12月に従五位下、下野守に叙任される。宝永7年(1710年)2月16日、養父の隠居により家督を継いだ。上総介、ついで中務大輔に叙任される。
父の友清は正誠の実母の弟であり、母も藩重臣の戸沢清房(戸沢政房の子)の娘であったことから、実子が相次いで早世した正誠により養嗣子として指名された。ただし養子縁組の際には正誠の血を引く者を継嗣とすることを厳命され、また正誠は隠居後もその死去まで実権を放さなかった。
正誠死後に表面化した藩の財政難を解決するため、家臣の知行削減や御用金を課したりしている。元文2年(1737年)12月6日、三男の正勝に家督を譲って隠居し、大和守に遷任した。
元文5年(1740年)12月27日に死去した。享年77。