戸谷真人
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神奈川県鎌倉市出身[1]、栄光学園高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部経済学科へ進学。早稲田大学では、数多くのアナウンサーを輩出している放送研究会で活動していた。
大学卒業後の1969年に、アナウンサーとして文化放送に入社した。入社後は、プロ野球や大相撲を中心に、スポーツ中継の実況で活躍。モスクワ・ロサンゼルス・バルセロナの各オリンピックでも実況を担当した。ロサンゼルスオリンピックで実況を任された柔道無差別級決勝のラジオ中継では、山下泰裕による金メダル獲得の瞬間を伝えている。
中継先の雰囲気やプレーの間を最大限生かしながら、七五調と装飾句を駆使した話術の持ち主。1985年から担当した『文化放送ライオンズナイター』における西武ライオンズびいきの過激な実況で知られたほか、古舘伊知郎にも大きな影響を与えた(詳細後述)[3]。
大相撲では、文化放送が本場所を中継していた時期に、『大相撲熱戦十番』で実況(末期のみスタジオからの進行)を担当。輪島大士が得意にしていた取り口(相手の左前ミツを引きながら右からおっつけての寄り切り)を「黄金の左」、千代の富士貢を「ウルフ」、若嶋津六夫を「南海の黒豹」と称した最初のアナウンサーであることを自認している[4]。
プロ野球中継では、7日間連続で実況を担当した経験を持つ。1978年から1984年までは、週末の『文化放送ホームランナイター』で、セントラル・リーグのヤクルト・横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ・読売ジャイアンツ(巨人)主催ナイトゲーム[5]中継を主に担当。1985年に『文化放送ライオンズナイター』が平日にレギュラーで編成されてからは、解説者で(西鉄)ライオンズOBの豊田泰光[6]との名コンビで一世を風靡した。ただし、『文化放送ホームランナイター』でも上記カードの実況を続けたほか、ヤクルト・大洋~横浜対広島東洋カープ戦における『RCCカープナイター』[7]、中日ドラゴンズ戦における『東海ラジオ ガッツナイター』、西武・ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ・日本ハムファイターズ対福岡ダイエーホークス戦における『KBCホークスナイター』[8]向け裏送り中継でも豊田と組むことがあった。
1990年代の後半にスポーツ実況の第一線から勇退してからは、文化放送のアナウンス部長や編成局次長を歴任した。60歳になった2006年に定年で退職してからも、毎年1月2日・3日に放送される東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継(文化放送制作分)のリポートを担当。2007年4月30日には、『こちら山中デスクです』(元・フジテレビアナウンサーの山中秀樹がパーソナリティを務めていたTBSラジオの番組)にゲストで出演した。
その一方で、「フリージャーナリスト」を名乗りながら、西武球団との関係を継続。2008年のホーム開幕カード(西武ドームでの対オリックス・バファローズ3連戦)では、西武の攻撃イニング限定で場内アナウンスを担当した[9]。さらに、8月20日のライオンズ・クラシック第1戦(対北海道日本ハムファイターズ戦)では、J SPORTSのテレビ中継でに豊田とのコンビが復活。試合前のトークショーにも、2人で参加していた。
2011年には、3月26日に『文化放送ライオンズナイター』30周年記念番組へゲストで出演したほか、7月11日に「文化放送ライオンズナイター クラシック」として放送された西武対オリックス戦(西武ドーム)中継で豊田と組んで実況を担当した。豊田をめぐっては、2006年の野球殿堂入り記念パーティー[4]や、2016年8月に81歳で永眠した直後の葬儀・告別式で司会を務めている[3]。