アサデンコウ
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※馬齢は旧表記とする。
1966年12月11日にデビューしたアサデンコウであったが、3歳時は2戦未勝利に終わった。 だが年が明けて4歳になると本格化し、5連勝で1967年4月30日開催の皐月賞[2]に挑んだ。 連勝中に弥生賞等を勝っており1番人気に推されたが、スタートの出遅れ[3]と厩務員ストが原因の体調不良[4]で7着に敗退した。
前走着外の影響もあり5番人気となったものの、人馬共に無事出走[5]となった中1週での東京優駿は、スタート2ハロン目がハロンタイム10秒フラット[6]となる乱ペースの中、直線で同厩舎のヤマニンカップと共に抜け出し、骨折しながらも後続を振り切り1着でゴールした[7]。 レース前まで好天であったが、直前に大粒の雨が降り始め雷が鳴り響いた為、『電光(デンコウ)』を味方につけた勝利と言われた。 また、後に鉄人と呼ばれる程の名騎手となる増沢末夫にとっては、騎手生活10年目で初めての重賞制覇でもあった。
しかし、アサデンコウは骨折のため表彰式に参加出来ず関係者のみが参加した肝心の馬がいない記念写真が今に残っている。と言われていたがしっかりと優勝記念写真が残っている[8]。
その後アサデンコウは長期の休養に入ったが、結局この骨折が元で再起できずに引退した。
引退後
年度別競走成績
- 1966年(2戦0勝)
- 1967年(7戦6勝)
- 1着 - 東京優駿、弥生賞