打越光重 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不明死没 天正19年(1591年)5月4日?[注釈 1]官位 宮内少輔[1] 凡例打越光重時代 戦国時代生誕 不明死没 天正19年(1591年)5月4日?[注釈 1]官位 宮内少輔[1]主君 豊臣秀吉氏族 打越氏父母 打越氏光[2]子 光隆[2]テンプレートを表示 打越 光重(うていち みつしげ)は、戦国時代の武将。「由利十二頭」のひとり。 天正18年(1590年)小田原征伐で信濃衆に加わり北条方の松井田城、鉢形城、八王子城を落城させる。同年12月24日、その軍功を賞され豊臣秀吉より出羽由利郡打越郷にて1250石を安堵される[3][1]。文禄元年(1592年)秀吉の朝鮮出兵に際して肥前国名護屋に在陣した[1]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 名護屋城は天正19年時点では築城されたばかりであり没年は誤りである可能性がある。 出典 1 2 3 阿部猛・西村圭子編『戦国人名事典』新人物往来社、p.146(1987) 1 2 『寛政重修諸家譜』巻第二百五 ↑ 『豊臣秀吉朱印状(打越宮内少輔宛)』 Related Articles